教育・教育行政など

2009年8月 5日 (水)

本日の「怒」090805/松下政経塾は危ないと思っていたが・・横浜で危険な教科書採択


 また、嫌なニュースです

***********************************
「つくる会」主導の歴史教科書、横浜市の8区で採択(1/2ページ)
2009年8月4日13時24分(asahi.com)

 横浜市教育委員会(今田忠彦委員長、6人)は4日、来春から市内全18区のうち8区の市立中学校で使う歴史教科書について、「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集された自由社版を採択することを決めた。同市の公立中で同会主導の教科書が採択されるのは初めて。全145の市立中のうち計71校(在校生徒数約3万9千人)が対象になる。
 同会主導の歴史教科書をめぐっては、路線対立などによる分裂により、当初からの扶桑社版と、今春検定に合格した自由社版という、ほぼ同じ内容の二つが並立する状態になっている。現在、同会主導の教科書を採択しているのは、東京都杉並区、東京都(都立校のみ)などの5教委で、いずれも扶桑社版。今回の横浜市8区はこれまでで最大の採択規模になる。
 この日の教育委員会では、6人の委員が自由社版を含む7社の教科書について審議。「中身が濃くて、読み物として楽しい」「普通の公立中学生のレベルでは難しい」など意見が割れた。市教委の事務局案を踏まえて各委員が18区それぞれについて無記名で投票した結果、港南、旭、金沢、港北、緑、青葉、都筑、瀬谷の計8区で採択された。自由社版の採択は全国初。
 定例会終了後、今田委員長は会見で「自由社の教科書は歴史がわかりやすく書かれている。戦前に逆戻りするとか戦争賛美とか、植民地支配を正当化するような教科書だという風には読めなかった」と強調。「日露戦争の記述では小国日本が大国ロシアに勝った経緯が詳しく書かれ、良い意味での日本人の誇りが感じられる」と評価した。
 横浜市の前回05年の採択の際は、当時委員だった今田委員長が1人だけ、同会主導の教科書について「自国を愛し、繁栄と平和を図る上で効果的」と唱えた経緯がある。委員長を含む教育委員6人は、中田宏・横浜市長が市議会の同意を得て任命する。前回採択時の委員のうち、5人はその後の人事で退いたが、今田氏は残り、06年7月、教育委員長に選ばれた。
 中田市長は、同会主導の歴史教科書を05年8月に採択した東京都杉並区の山田宏区長と松下政経塾で同窓で、今秋にも新たな政治団体「『よい国つくろう!』日本国民会議」を立ち上げようと計画。新団体の基本理念の一つに、「日本人の誇りと自信と夢を回復する」を掲げている。
 同会が主導した歴史教科書は、扶桑社版で01年に初めて検定に合格。植民地支配や戦争の加害の実態を見つめる記述が少なく、国内外から批判を浴びた。
 05年合格の改訂版では、採択率10%という目標を掲げ、教育勅語の原文や「神武天皇の東征」の地図の掲載をやめるなどし、教室で使いやすいようにする記述の変更が目立った。ただ、採択率は0.4%に終わった。今回採択された自由社の教科書は、基本的に、05年に扶桑社から発行された改訂版を踏襲している。
*********************************

 新しいものは見ていないのですが、原形になった「つくる会」の教科書が、いかに子どもの思考力を奪い、想像力をダメにするものであるかと言うことは、以前書いていたHPで詳しく検証しました。しばらく注目していなかったのですが、こういう動きが出てくるようでは、少し気をつけていないと・・・

 問題は、この教科書を採択させようとして教育委員の任命を行なった前中田市長です。中田氏が、結局のところ自分のことしか考えていない「政治屋」であったことは、突然の辞任で明らかになりましたが、私はどうも松下政経塾出身者の多くが「うさんくさい」のです。

 もちろん、松下政経塾の設立の経緯からして、「大企業優先」「金持ち優遇」「エリート養成」という目的があるのは明らかです。上から目線でものを見ることができる人を育てることがその隠された目的といってもいいでしょう。それが鮮明に表れるのが、安全保障問題です。

 松下政経塾出身者の多くが、軍事拡大によって事業を拡大し利益を享受できる層に向けたアピールに熱心で、自分から銃を取る立場ではない議論がほとんどです。もちろん、「末端の兵士などはものを考える力はない。俺たちが考えるんだ」というのが政経塾で叩き込まれることでしょうから、こうした結論が出ることは容易に想像がつきます。それと同時に、民主党元代表の前原氏のように、「政治屋くささ」を感じさせる人が多いことも事実です。

 それにしても、恐ろしいことです。選挙と「すぐに迫っている」と一部でいわれている南関東の大地震に気を取られているのですが、教科書の問題も忘れずに追いかけて行こうと思います。

2009年5月 8日 (金)

本日の「怒」090509/体罰論争の難しさとむなしさ


 先月28日、体罰の合法性を問う裁判の判決が最高裁でありました。問題としてはとても微妙で、一部の報道などでは原告側の執拗な抗議を「モンスターペアレント」と結びつけて問題視しているものもありました。行為自体が肉体的には「暴力」と言えるかどうか難しい(肉体的なダメージを与える行為ではない)ものであることも、問題を複雑にしている要素かも知れません。

 この判決、私にはまったく納得がいきません。それは、裁判官が(恐らく子どもたちと接したことがないのでしょうね)体罰の意味や成長期の子どもの精神状態を全く理解していないからです。その理解のなさは、「大人の勘違い」として子どもに対する圧迫になっています。まず、その勘違い(もちろん、意図的でしょうが)の典型例として、産經新聞の社説を取り上げてみます。

****************************
【主張】「体罰」判決 毅然たる指導こそ必要だ
2009.4.30 03:16

 教師が児童の胸元をつかんで叱責(しっせき)した行為が体罰かどうか争われた訴訟の上告審判決で、最高裁は「体罰に当たらない」とする初めての判断を示した。1、2審は体罰と認め損害賠償を命じていた。これを見直した最高裁判決は妥当であり、評価したい。
 訴訟となったのは平成14年に熊本県の小学校で起きた事案だ。臨時講師の男性教師が悪ふざけをしていた小学2年の男児を注意したところ尻をけって逃げたため、男児の胸元をつかんで壁に押しつけ、しかった。
 最高裁は体罰にあたるかどうかは目的、態様、継続時間などから判断されるとし、今回のケースは「教育的指導の範囲」とした。
 言うことを聞かない子には、ときには、力をもって厳しく指導することは必要だ。学校現場は判決も参考に、自信を持って毅然(きぜん)とした指導を行ってもらいたい。
 学校教育法では教育上必要がある場合、児童生徒に懲戒を加えることを認める一方で、体罰を禁じている。
 体罰禁止は、殴る、けるなど肉体的苦痛を与えることを禁じたものだ。これが曲解され、暴れる子を制止することも「体罰」とし、教室で騒ぐ子を立たせるといった当たり前の指導にも「苦痛」「人権侵害」などと子供や親が文句をいう例が目立っている。
 いじめ問題でも加害者への指導が行われず、出席停止などの厳しい対応をとることが少ない。
 こうした現状が批判され、政府の教育再生会議は一昨年、体罰基準の見直しなどを求めた。文部科学省は放課後の居残りや教室で立たせるといった指導は体罰に当たらないとする通知を出している。こんな通知を出さざるを得ないのも、学校の指導が苦情や問題化を恐れて萎縮(いしゅく)しているからだ。
 厳しい指導に待ったをかける教育委員会の例もある。今回の判決を契機に、そうした事なかれ主義も一掃してほしい。
 犯罪や非行の低年齢化が深刻で、小学生の暴力行為が急増しているという統計も出た。あいさつや服装、きまりを守るなど日常から規範意識を高める指導の重要性が増している。
 指導では親と教師、教師同士が連携することが重要だ。親が教師の悪口をいったり、誰かが甘い顔で規則破りを許したりしては子供から信用されない。厳しいしつけや指導は子供のためである。
******************************

 神戸の震災のときに、私は子どもたちのメンタルケアの必要を感じてボランティアに参加しました。そこである大学の教育学の先生と議論になったことがあります。先生の主張は「こういうときだからこそ、避難所の生活を維持するために子どもたちには厳しくルールを守らせることを教えることができる。厳しくすることが必要だ。それがしつけというものだ」というものでした。私(たち)は、「子どもたちの精神状態、特にPTSDから子どもたちを守るためには、急性のストレスを発散させるための作業(お絵描きや地震ごっこなど)が必要」という立場で、子どもたちにはかなり自由に遊ばせていましたので、それが先生には気に喰わなかったようです。こういう先生に師事した学生が子どもを教える立場になるとき、子どもたちは自分で判断することを停止するように育つのだろうな、と暗澹たる気持ちになったものでした。

 それと同じ匂いが、上の産經新聞の社説からは濃厚に感じられます。子どもには「判断させるのではなく、これが正しいと教える」ことが教育だと思っている。そうじゃないんです。人を殺してはいけないことを子どもにわからせるには、「人を殺してはいけないのだ」ということを100回念じさせるのではなく、人を殺してはいけないと子ども自身が思うように導かなくてはならない。そのためには、人の痛みを知る想像力が必要なのです。人の痛みがわからない政治家が幅を利かせ、こんな当たり前のことが通用しなくなっている。産經新聞が主張していることは北朝鮮で行なわれている洗脳と同じなのです。もちろん、そんなことはわかっている上で主張しているのでしょうが。

 この体罰論争のむなしさは、「この行為が体罰に当たるか」という議論に矮小化されているところにあります。判決がもっぱら請求の棄却理由としたところもそこにありますが、ことの本質は「どこまでが体罰か」という問題ではないのです。

 次の社説は西日本新聞のものですが、本質を語れていない部分があるとはいえ、産経のような「お馬鹿な」ものではなく、体罰を「どこまで」と線引きする無意味さを論じています。

************************************
「体罰」最高裁判決 線引き論にとどまるな

 注意しても言うことを聞かない子どもに、どう対応すればいいのか。思い悩む学校現場に一石を投じる最高裁の判決だ。児童の胸ぐらをつかんでしかった行為は「体罰」には当たらない、と一、二審の判断を覆し、損害賠償の請求を退けた。
 体罰は学校教育法で禁止されている。争点となったのは熊本県天草市の小学校での出来事が、それに当たるかどうかである。休み時間に人をけるなどの悪ふざけを繰り返した男児。臨時講師の男性は胸元をつかみ、壁に押し当てて大きな声で「もう、すんなよ」と言ったという。
 胸ぐらをつかまれることは大人でもあまりない。男児側は、大きなショックを受け、夜に泣きだしたり食欲がなくなったりして治療を受けた、として市を訴えた。熊本地裁と福岡高裁は「教育的指導を逸脱した体罰」と認定し、賠償を命じた。
 ところが最高裁は「指導であって、罰として肉体的な苦痛を与えるためではない」とした。二審まで認めた児童の「恐怖心」には触れなかった。指導する側の視点を優先したといえよう。保護者からのクレームを恐れて厳しい指導を控えがちな教育現場への配慮もあるのだろうか。
 「学級崩壊」が言われて久しい。小学校でも子どもが注意を聞かず授業が成り立たないことがあるという。毅然(きぜん)とした態度を示すために体罰を容認せよ、という声も少なくない。
 文部科学省もおととし通知を出した。放課後に居残りをさせたり、授業中に立たせたりは体罰に当たらない―などの基準である。ただ、自分を守ったり、他の子をかばったりする場合以外には、体に触れるような体罰を認めたわけではなかった。
 そうした中での最高裁の判断である。「目に見える力」を子ども相手に使ったとしても、場合によっては違法ではない―という解釈もできよう。
 しかし懸念はぬぐえない。教員がつい感情的になって子どもに手を上げることはないだろうか。「される側」への配慮に欠けたまま「指導だった」と理由を後付けすることはないだろうか。
 広島県内では昨年度、体罰を繰り返したり、けがをさせたりして懲戒処分された教員が十一人いた。体罰は心の傷にもなりかねない。子どもの立場から歯止めはしっかりとかけねばなるまい。
 何が体罰であるかは一概には決めにくい。立場によって受け止め方も違おう。といって法廷の場で線引きを争うのは幸せとはいえまい。今回の訴訟から、学校と子ども、保護者の信頼関係が薄れつつあることが見えてくる。
 家庭のしつけの力も落ちて、生活指導は学校に丸投げ。負担に耐えられない教員が対応できず、それが保護者の不信につながる。こうした負の循環を断たねばなるまい。判決を単なる体罰論とせず、子どもへの指導の在り方を考え直すきっかけにすべきだろう。
*********************************

 子どもに対してやってはいけないことは、「子どもの思考を停止させること」です。思考を停止させて恐怖で子どもを支配することが、子どもにとって一番重要な判断力/価値観を形成する過程を奪うからです。体罰が問題なのは、「痛み」で子どもに恐怖心を与えることで「言うことをきかせる」ことを目的とするからなのです。これは、物理的に「痛い」ことだけでなく、精神的に「痛い」ことでも同様です。いや、精神的な痛みの方が、子どもの成長過程にとっては影響が大きいかもしれません。

 今回のケースは、少なくとも報道を見る限り、子どもには十分恐怖心を与えたものでしょう。「恐怖心を与えたかどうか」ということを法的に判断することは難しいかもしれませんが、少なくとも「体罰か否か」ということが現状のように議論されている限り、教育現場がよくなることはないでしょう。

 判決は以下の裁判官の全員一致です。名前を記憶しておく必要があるでしょうね。

裁判長裁判官 近藤崇晴
裁判官 藤田宙靖、堀籠幸男、 那須弘平、田原睦夫

2009年3月15日 (日)

本日の「怒」090315/七生養護学校裁判、続報


 産経新聞が社説を出しました。

***************************
【主張】性教育 過激な内容正すのは当然
2009.3.14 03:37
このニュースのトピックス:主張
 東京都日野市の都立七生養護学校の性教育をめぐり都議が視察で批判したことに対し、東京地裁は、「学校の性教育に介入し、教育の自主性を阻害した」などと都や都議3人に計210万円の賠償を命じた。
 問題の性教育は性器のついた人形を使うなど不適切な内容であり、都議らの是正に向けた取り組みは当然の行為だ。これを不当とした判決は極めて疑問である。
 平成15年に過激な内容の性教育の問題を都議らが都議会で指摘したうえ視察した。性器の付いた男女の人形やコンドームの装着を教えるための男性器の模型などの教材が明らかになり、都議は「常識では考えられない」「感覚がまひしている」などと批判した。都教委は視察に立ち会い、教材を没収した。
 これに対し当時の教員ら31人が性教育の内容を批判され、教材を没収したのは不当として都と都議のほか、この視察を報じた産経新聞を相手取り計3000万円の賠償を求めた。判決は産経新聞への訴えは棄却し、都教委による教材没収などについても却下した。
 問題なのは、「視察した都議が教員を威圧的に批判した」などとして、「旧教育基本法が定めた『不当な支配』にあたる」との判断を示し、一部訴えを認めたことである。
 同校の当時の性教育には保護者の一部からも批判が寄せられていた。保護者の同意、発達段階に応じた教育内容など性教育で留意すべき内容から逸脱したものだ。
 これを是正しようとした都議らの行動を「不当」とするなら議員の調査活動を阻害しかねない。
 学校の授業は外部の目に触れにくく、独りよがりの授業がなかなか改善されない。保護者や地域の人々が教育内容を知り、不適切な内容に改善を求めるのは「不当介入」ではない。
 旧教育基本法の「不当な支配」をめぐる条文は、特定の思想を持つ団体などの教育現場への介入を戒める規定だが、教職員組合などは国や教育委員会の指導を「不当な支配」と曲解してきた。
 しかし、18年暮れに成立した新教育基本法に「不当な支配」の文言は残ったものの、教職員らに法を守ることを求める規定が追加され、曲解の余地はほとんどなくなった。性教育に限らず、教育委員会や校長は不適切な教育内容には毅然(きぜん)とした指導が必要だ。
***********************

 この件に対する産經新聞や新潮の記事には、ひとつのパターンがあります。性描写をできるだけえげつなく表現し「こんなのはおかしい」と思わせて都議らの行為を正当化する、そしてそれを教育現場全体の問題として教職員組合の問題に拡大して行く。そのことにより、文科省や教育委員会による現場への圧力、締め付けを擁護する(狙う)、という進み方です。もちろん、その先には「国を愛することは国を批判しないこと」という、批判精神や想像力を奪う教育を押し進めて行く目的があります。

 産経の社説に比べて、今回の判決は教育の本質をよく理解しています。判決の中にある一部ですが、裁判官が書いたとは思えない(失礼!)、まるで教育現場を知っている人のような問題意識です。

「性教育は、教授法に関する研究の歴史も浅く、創意工夫を重ねながら、実践実例が蓄積されて教授法が発展していくという面があり、教育内容の適否を短時間のうちに判定するのは、容易ではない。しかも、いったん、性教育の内容が不適切であるとして教員に対する強制的取扱いがされれば、それらの教員を萎縮させ、創意工夫による教育実践の開発がなされなくなり、性教育の発展が阻害されることにもなりかねない。性教育の内容の不適切を理由に教員に制裁的取扱いをする場合には、このような点についての配慮が求められる」

 自分たちの主義に沿うように教育を変えていこうという人たちの言葉に対して、教育をまっすぐに捉えた素敵な内容だと思いませんか。しかし、この裁判官は出世できないでしょうね・・・嗚呼

2009年3月13日 (金)

本日の「怒」090313/当然の判決なのですが・・・それにしても


 昨日の東京地裁の判決です。新聞各紙はかなり大きな扱いだったので読んだ方も多いでしょう。

*************************************
都議介入『不当な支配』 性教育授業 七生養護学校訴訟 地裁が賠償命令
2009年3月13日 東京新聞朝刊
 東京都立七生(ななお)養護学校(日野市、現・七生特別支援学校)の元教師ら三十一人が、性教育の授業や教材を視察した都議から批判を受け、精神的苦痛を受けたなどとして、都議三人と都などに計約二千九百万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は十二日、都議の行為を「教育の不当な支配」と認定、都議三人と都に計二百十万円の支払いを命じた。 
 原告側の代理人弁護士によると、政治家が教育現場に介入し、「不当な支配」と認定した判決は、極めて異例だという。
 訴えられた都議は土屋敬之(民主)、田代博嗣、古賀俊昭(ともに自民)の三氏。
 同校は一九九〇年代後半に生徒の性的な問題行動が発覚したことから、性器のついた人形などの教材を使い、全校を挙げて性教育に取り組んでいた。
 判決で、矢尾渉裁判長は「都議は政治的な主義、信条に基づいて性教育に介入した。教育の自主性を阻害し、ゆがめる危険行為で、旧教育基本法上の『不当な支配』にあたる」と、原告側の主張を全面的に認めた。
 同行した都教育委員会職員についても「教員を保護する義務があったのに、都議が非難をするのに任せたのは違法」と指摘した。都教委は二〇〇三年九月、学習指導要領を踏まえない不適切な性教育をしたとして七生養護学校の教員十八人を厳重注意した。判決は「都教委は、教員に性教育の助言や指導をしないまま注意した。都教委の行為は裁量権の乱用」と認定した。
 都議の視察をめぐり産経新聞が同年七月五日付の紙面で「過激性教育」などと報じ、名誉を傷つけられたとして原告が訴えた訴訟は請求を棄却した。
 判決によると、都議らは〇三年七月、同校の性教育を視察した際に、教員に「こういう教材を使うのは、おかしいとは思わないのか」などと教員の人格を否定するような発言をした。
◆「違法性はない」3都議
 古賀俊昭、田代博嗣、土屋敬之の三都議は連名で「なんら違法性はないものと、確信している。私たちの視察と指摘によって、東京都の過激性教育が大きく改善された意義は大きい」とのコメントを出した。東京都の大原正行教育長は「原告の一部の主張が認められたのは、大変遺憾なこと。判決内容を確認して、対応を検討していく」とした。
性教育訴訟 都議と都に賠償命令 本紙報道への請求は棄却(産経)
2009.3.12 19:37
 東京都日野市の都立七生(ななお)養護学校(現・都立七生特別支援学校)で使われていた性教育の教材を都教委が没収したのは不当として、同校の当時の教員ら31人が、都や都議3人と産経新聞を相手取って計約3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、東京地裁であった。
 矢尾渉裁判長は、都と都議3人に計210万円の賠償を命じた。同校の教育内容を批判的に報じた産経新聞に対する訴えは棄却した。
 矢尾裁判長は、都議が同校の視察で教員を直接批判した行動を問題視し、「学校の性教育に介入し、教育の自主性を阻害した。旧教育基本法が定めた『不当な支配』にあたる」と判断。視察に立ち会いつつ、都議らの行動をとめなかった都教委について「保護義務に違反した」と指摘した。
 一方、同校の教育内容に関する都議の議会質問や、都議らの視察、都教委による教材没収などについては、「不当な支配には当たらない」とした。
 判決は、性教育の内容について判断せず、「都教委が厳重注意するなら、(事前に教員らに)学習指導要領に違反していると認識させるべきだった」とした。
 同校では、男性器を模した模型で射精の仕組みを教えるなど独自の性教育を展開。都議と都教委らが同校を視察し、性教育の教材を没収した。
*****************************

 この学校を「視察」して不当な圧力をかけた土屋敬之(民主)、田代博嗣、古賀俊昭の3東京都議会議員は、「都議会三羽烏」と呼ばれているガチガチの保守議員として有名です。弱者に対する想像力の欠如は、三人が強力に応援する石原東京都知事と同様の精神構造をお持ちであることを示しています。「開放的な性教育は、共産主義思想を根拠とする、家庭崩壊、私的財産否定を狙う反体制教育の一環である」(古賀議員)などの発言を見れば、どういう思考回路なのかは一目瞭然ですね。

 この議員の尻馬に乗って(たきつけて?)大々的に「反性教育キャンペーン」をやったのが、産経と新潮でした。知的障害がある生徒に体の仕組みを教えるために、本当に苦労して工夫を凝らした授業をやっていた教員たちに対して、「反体制教育」というレッテルばりまでして追求したのです。さすがに、判決を受けて黙っていられないようで、社説ではなくひとつおとなしいところで論陣を張っています。

*********************************
【視点】性教育訴訟 「不当な支配」拡大解釈懸念(産経)
2009.3.13 10:27
 知的障害がある児童生徒を対象とした同校では、独自の性教育を展開した。精通の指導では、男性器を模した模型から精液に似せた白い液体が飛び出るものもあった。男子生徒が集会室で突然、「学校で恥ずかしいことじゃないと教わった」と自慰行為を始めたこともあった。
 保護者だけでなく、同校関係者からも、たびたび批判や苦情が寄せられた。都教委が「学習指導要領に違反している」と教材を没収に踏み切った背景には、こんな事情があった。
 判決は、同校で行われていた性教育の是非については言及しなかった。ただ、視察した都議らが「感覚が麻痺(まひ)している」などと教員を一方的に批判した点について、旧教育基本法にある「不当な支配」にあたると判断した。
 確かに、都議の行動には行き過ぎがあった。だが、「不当な支配」の主体は、文部科学省の解釈では、「国民全体を代表するとはいえない一部の社会的勢力」(政策課)とされる。
 教育界では、一部の教員が教育委員会の指導に従わない根拠として、「不当な支配」の文言を拡大解釈。学力テストの反対闘争をはじめ不毛な対立を招いてきた。今回の判決は、そんな流れを加速させかねない。(小田博士)
*********************************

 学校教育への政治の介入は、目に余るものがあります。特に、石原東京都知事になってからの東京の学校は、教師が創意工夫ができない空間になっています。「ねばならない」という押しつけは、教師の想像力を奪い、ひいては生徒の想像力を奪うことになるのです。石原東京都知事や教育に介入している政治家が目指すものが、まさに「批判精神や想像力を持たずにひたすら言うことを聞く」生徒たちを生産することです。これは、文部省の指導要綱の変遷にもはっきりと見て取れるものがあります。

 今回は、特に養護学校という空間での出来事でした。もちろん、介入した3都議は、実際に障害を持つ子どもたちに何をどのように教えたらよいか、ということを考える力は全く持ち合わせていないでしょう。歴史的に見ても、(石原氏を含め)優生思想や選民主義を背景とする保守主義の延長線上にあることがわかります。

 判決は、しごく真っ当なものです。産經新聞への賠償責任も追求すべきだとは思いますが。相変わらずの「ためにする議論」ですが、「くだんの都議が、都民に選ばれた議員だからと「国民全体を代表とするとはいえない一部の社会勢力」ではない(から、介入しても許される)」という論調は、「正しい介入はすべき。自分の主義に合わない介入はすべきでない」という、産經新聞の主張の本質がよく見えていると思います。

 子どもの教育に「創造性」が取り戻される日は来るのでしょうか・・・・

2009年1月22日 (木)

本日の「偽」090122/産經新聞の社説を「ぱくっ」


 どこが「偽」だか、わかります?

********************************
【主張】日本史必修 自国学ばせ国際人育てよ
2009.1.21 03:24

 横浜市教育委員会が市立高校で平成22年度から日本史を必修科目にする。この取り組みを評価したい。歴史の学習意欲がわくような授業を進めてもらいたい。
 高校の学習指導要領では、地理歴史教科3科目のうち世界史が必修で、日本史か地理のどちらかを履修する。
 小中学校の歴史の授業が日本史中心のため、高校では国際化に対応し、平成元年の指導要領改定で世界史が必修になった。
 横浜の市立高で日本史を履修している生徒は約6割にとどまるという。これでは寂しい。自国の本当の歴史を知らずして他の国や地域への理解や尊敬の念は生まれない。
 約10年ごとに行われる指導要領改定期にあたり、日本史必修化の要望は各界から起きていたが、昨年末公表された新学習指導要領案で日本史必修は見送られた。
 これに対し、神奈川県教委がすでに平成25年度から独自に日本史の新科目をつくり、必修化することを決めている。
 松沢成文知事が「しっかりした日本人、国際人の育成に日本史は不可欠」とした見解には支持が多かった。
 横浜市教委は、独自科目は設けずに、神奈川県立高に先駆けた形で、世界史に加えて日本史を必修にする。教委はそのための授業時間増などで対応するという。
 生徒の学習負担が増えるというが、日本史の学習は、古典や世界史など他の教科・科目の理解も深まる利点が大きい。卒業後も生かせる場面が多いはずだ。
 ただ、日本史の授業で心配なのは教科書だ。歴史教科書では真実を曲げてでも日本を賛美する方向へ修正するべきだ、という圧力がかかっている。
 例えば、南京事件のや従軍慰安婦、沖縄戦などの記述では、旧日本軍の行為を正当化、免罪するかのような検定意見や修正圧力が目立つ。
 学習指導要領改定に伴う教科書改訂を機会に、教科書会社や執筆者らは、民主的で文化的な国家の発展や世界平和と人類の福祉の向上を目指し、そのために個人の尊厳、真理と正義の希求、好況の精神、豊かな人間性と想像力を育成することを重視し、さらに伝統を踏まえて新しい分化の創造を目指す教育を推進するとした教育基本法を踏まえ、歴史に心から興味が持てる教科書づくりを心がけてもらいたい。
 教師の責任も重い。歴史は覚える年号なども多く、事項を羅列するだけの授業ではつまらない。
 小中学校時代から、国や郷土に尽くした人物の生き方、新たな思想や創造的な文化を編み出した多くの先人たち、国際社会の平和や人類の福祉を求め続けた多くの市井の人々などを含め、さまざまな価値観を知って歴史ロマンをかき立て、批判精神と想像力を養えるような授業を行ってほしい。一方的な歴史観の押しつけでは、他者を思いやる心を持たない、想像力が働かない歴史嫌いの生徒を増やすばかりだ。
************************************

 うーん。こんなものが載ったら、すぐに読者になりますね。

無料ブログはココログ

最近のコメント

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック