年末になると、「今年の10大ニュース」などの企画が増えます。読者のアンケートなどで順位付けをするところが多いようですが、「何をどう捉えているか」ということがわかって面白いですね。個人がこれをやると、その人の考え方/見方がよくわかります。そうした意味で、とても「怖い」ものなのですが、私も数を決めずにやってみようと思います。
(1)金融システムの崩壊
トップにあげるのは、アメリカ発の金融システムの崩壊です。何故これがトップかと言うと、単なる金融機関の破綻ではなく、アメリカ型の「金融マジック」の仕掛けが暴露されてしまったからです。仕掛けがわからない間は、誰もがこのマジックに酔い、富が無限に増殖するかのような錯覚を起こしていました。しかし、増殖したかに見えた富が単なる幻影に過ぎないことがハッキリし、クレジットクランチを引き起こしたのです。結果的に、クレジット型社会で過剰消費を実現していたアメリカの経済が、その根本から問われ直すことになったのです。
そもそもアメリカの過剰消費は、今に始まったことではありません。ベトナム戦争時も、戦費とともに莫大な輸入(国内での過剰消費)がドルへの信頼を失墜させて「ニクソンショック」と呼ばれる経済混乱を招きました。やや乱暴な言い方をすると、開拓者時代のガンマンが「獲物を捕らえたら懸賞金で払ってやるぜ!つけとけ!」と言いながら酒を飲む、といった消費の仕方を続けて来たのです。「お金を貯めてからものを買う」という発想はなく、とりあえず買っておいて後から稼ぐ、というアメリカ人の発想は、(短いながらも)アメリカ人の歴史に埋め込まれた「血」なのかもしれません。
その伝統から登場した「先に利益を得る」手法は、年俸数十億円のトップから年収が億を超えるディーラーまで、確定していない利益を富が増えたかのように先を争って山分けするという実態を産みました。本来「バクチ」であるはずの相場やリスク管理を、まるでマルチ商法がやるように、確実に儲かるものであるかのような幻想を振りまいたのです。
そうしたからくりに気がついた世界は、そのからくりを生み出した発想やそうした振る舞いを許した思想が何であるかにも目が向き始めました。レーガン政権以来広がっていった、「先に儲けたものの勝ち、強いものの勝ち」という「人間が動物から進化しようとした」文化を否定するかのようなこうした主張が本質的にどのようなものかということが、見事に暴露されました。そうした意味では、(遅きに失した感もありますが・・・)何かが良い方向に向かい出すきっかけになるかもしれません。
(2)オバマ氏がクリントン氏を破り大統領候補に、そして大統領に当選
オバマ氏がマケイン氏を破ったことについては、はっきり言うとあまり驚きはありませんでした。それまでの民主党の候補者争いで見せたオバマ氏の「エリートぶり」が、オバマ氏に対して本能的な拒否反応を示す層に対して一定の安定剤の役割を果たすと思ったからです。しかし、オバマ氏がクリントン氏に対してあのような「地滑り的な」勝利をしたことに対しては、ある意味で驚きました。アメリカの大統領選挙(予備選も含めて)でこうしたことが起こるのは珍しいことではありませんが、アフリカ系アメリカ人が民主党の候補者になることの「怖さ」が、最後まで尾を引くだろうと思っていたからです。
ふたを開けたら何も変わらなかった、という結果になることを恐れてはいるのですが、それでも何かが「変わる」きっかけになる可能性は信じたいと思っています。
(3)日本の不況/構造的な問題が明らかに
「構造的な問題」と書いたのですが、問題だと思っていない人の方がまだ多いかもしれません。相変わらず「日本経済を牽引する輸出産業を立て直すにはどうしたらよいのか」的な論調が多いからです。
景気が良い、と言われていたときでも、本当に儲けていたのは輸出に頼った企業と金融機関、不動産、それに新興産業だけでした。そうした産業を栄えさせるための大転換が、中曽根内閣で明確になり、小泉政権の元である程度完成したことは、当ブログでも何度か書いています。結果として、国内の消費の強さが一部の層に限られ、基礎的な経済力が向上することができませんでした。失業率が低い、というのは昔の話で、非正規雇用の労働者の割合はOECD諸国の中でも異様に高くなってしまったのです。
こうした中で、介護や医療などの「人的資源」が必要な分野では、人が足りないことがハッキリしてきました。輸出に頼る大企業が軒並み何兆円という内部留保を溜め込む一方で、過酷な労働環境にある介護士は、生活ができないほどの驚くべき薄給で働いています。
また、地方の荒廃も進む一方です。大規模店舗が増殖して街の商店街がその働きを止めてしまうことで消費構造が単一化して経済変動に対してしなやかに働く少量生産の生産現場が減少する、という問題がはっきりし、利益優先の構造改革によって過疎地の住民が受けられるサービスの劣化(交通手段の剥奪、郵便局の閉鎖など)は目を覆うばかりです。少子高齢化・人口の減少が始まった中で、東京だけが抱える住民を増やしていく、といういびつな構造も加速しています。もちろん、これが国民の選択ですから私がとやかく言うことではないのですが、果たして本当にこれで良いのでしょうか。
(4)「理由なき殺人」の増加/犯罪の質的変化
「子の親殺し」や「集団自殺」が流行のようになったのは数年前ですが、「理由なき殺人」が目立ったのが今年の特徴でしょうか。秋葉原や茨城の事件を持ち出すまでもなく、皆さんも「またか・・」と思わされた事件が多発した記憶があると思います。こうした事件が起こると、識者は社会的な背景の分析には熱心です。しかし、私は原因はそれだけではないように感じています。想像力や他者に対する精神的な思いやりの欠如は、1970年代後半から始まった文部省による教育方針の転換の、ある意味での完成でしょう。短絡的な発想しかできない層の増大は、ネット社会を見ていると背筋が寒くなるものがあります。経済と同様、こうした方向性に修正が加えられるようになると、少しは将来に明るいものが見えてくるように思うのですが・・・
(5)テロの拡散/国家テロとテロリストによるテロと
今年は、大きなテロや国家による「異質物に対する弾圧」の拡散が続いた年でした。これについては、何度か取り上げましたので、繰り返しません。主な事件だけを取り上げておきます。
チベットで民衆が蜂起/中国政府による大規模な弾圧(3月14日)死者不明
中国でテロ続発(7月21日昆明、8月4日新疆など)
パキスタンの米系ホテルでテロ(9月20日)53人死亡
インドのホテルなどでテロ(11月26日)163人死亡
イスラエルが西岸地区で暗殺を繰り返す/空爆も(12月)
(6)食品偽装など
これは、今年のキーワード「偽」の最たるものですね。しかし、これは「偽装が発覚した」のであって、今年になって偽装が増えたわけではありません。そうした意味では、さまざまな事件を経て、食品の安全性について厳しく捉える人が増えた、ということの証かもしれません。
(7)弱者イジメの本格的な始まり
これも、中曽根内閣以来30年間の「弱肉強食」社会を目指した完成形です。小泉政権が意図したこうした政策は、昨年、今年と見事に結実しました。自民党や公明党が熱心に進めた障害者施設での「応益負担」は、世界的にも非常に稀な方策ですが、施設を辞めざるを得ない障害者をたくさん生み出し、公的負担の軽減に成功しました。やはり両党が熱心に推進した後期高齢者医療制度も、ただでさえ年金などで若い世代より特をしている高齢者に応分の負担を求めることに成功しました。もちろん、税制も抜かりありません。国税から保険料の算出ベースになる地方税への移譲を行ない、「増税ではない」と国民に納得してもらいながら保険料の引き上げに成功したのです。2008年は、こうした「負担の公平化」などの来るべき高齢化社会においてセーフティーネットが形を残せるために必要な処置が軌道に乗り出した輝かしい年です。
注)応益負担と応能負担
前者は、受益に応じて負担する制度、後者は能力に応じて負担する制度のことです。応益負担であれば、受け取るサービスに応じた負担を負うという、経済原理にかなった負担原則が実現します。すなわち、同じ授産施設で働いていても、サービスをより必要とする重度障害をもっていれば、当然負担が増えるわけです。つまり、「働けない人ほど負担が増える」制度です。現代の社会に於いて、こうした制度を「福祉制度」として持っている国家はほとんどありません。当たり前ですよね。
応能負担は、その人の能力に応じて負担してもらおうという考え方で、小泉政権以前までのものです。自民・公明両党は、競争原理、経済原則に合わせた「福祉」制度の構築を目指し、応益負担を積極的に導入しました。結果として、授産施設などから「追い出される」障害者が続出し、社会生活を営む大きな阻害要因になっています。
これは、厚生省(厚労省)が長年行なって来た「障害者は障害者を産んだ親や家族の責任」という方針に合致したものです。20年ほど前から露骨になったのですが、障害者が障害年金と生活保護を受けて自立することを妨害し、「家族がいるなら親元に戻って生活保護を打ち切れ」という指導が強力になされて来ました。それでも社会参加を目指す障害者は、授産施設などで働くことを生き甲斐にして来たのですが、与党/厚労省は、それすら「邪魔なもの」として排除しようとしてきました。その結果が、こうした「福祉」制度になったのです。
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