臓器移植法案(いわゆるA案)が成立しました。(成立の経緯や審議された各案の概要をご存じない方は、Wikipediaの項目「臓器の移植に関する法律」をご覧下さい。)この問題はあまりにも難しいので、実は避けていたのです。思うことはたくさんあるので、これを機会にあれこれと書いてみようと思います。
臓器移植法案が成立したことの「明と暗」は、朝日新聞の7月13日付の記事がよくわかります。
共産党以外の各党派が「各人の倫理観の問題である」として党議拘束をかけなかったため、衆参両院での採決は同じ政党の中でもかなり大きく割れました。自民党は賛成が7割、公明、民主党は4割ほどでですが、社民は全員が反対、共産は棄権、という大まかな結果です。
現状の臓器移植の状況が不正常であることは明らかです。「外国へ出かけてお金にものを言わせて臓器を買う」という批判が国際的に強いのは事実ですが、臓器移植しか方法がなく国内での移植が望めないのであれば、どんなことをしても自分の愛する人に生きるチャンスを作りたい、という気持ちは十分に理解できます。きれいごとを言うつもりはなく、私でも同じことを望むように思います。しかし、こうしたことが現地の方の生きるチャンスを奪っていることは確かです。
もちろん、臓器を提供する側の問題もあります。朝日の記事のようなケースもあるでしょうし、予想される問題はもっとたくさんあるでしょう。脳死と判定されてしまうと、移植に同意しないと非難を受けるような風潮が出てきてしまうことも容易に想定されます。「早く諦めなさい」というプレッシャーは、大切な人を失いそうになっている人たちにとって、大きな精神的ダメージを与えてしまうでしょう。もっと怖いのは、身寄りがないすれすれの患者に対して、医療サイドが臓器提供のために(言葉は悪いですが)「手を抜く」ようなことも起こりかねないことです。
問題とされている「子どもの脳死判定」以外にも、私はいくつかの疑問を抱えたままです。
● 移植法案に消極的な意見が根強いことの原因のひとつに医療機関の問題はないか
こうした問題が解決されるためには、医療の現場にも高い倫理観が要求されます。もちろん、大部分の医療従事者が毎日身を粉にして患者のために働いていることは十分に承知しています。しかし、医療の現場では患者を置き去りにして平気な医者や医療機関が存在していることも、医療過誤訴訟などを見ていると否定できません。私もそうした「無責任な」医療機関の実態に触れてしまった経験がありますので、現在の日本の医療体制の中で「安心して」移植を推進する意見を持つことはとてもできないのです。
都内のある有名大学病院では、最近まで訴訟を起こした患者(ないし家族)がカルテのコピーを取る時に、法外な値段(1枚200円とか500円とか)を取っていました。実際に自分でもこうした現場を経験して、あまりのことに絶望的な思いをしました。一昔前まではコピーなど絶対にさせなかったのですから、それでも「進歩」なのかもしれません。しかしこの大学病院、絶対に「自分のところが悪かった」とは言わない「有名な」ところです。こんな病院で「初めに移植ありき」の扱いを受けたら、と思うとぞっとします。
移植法案(A案)を推進する立場である日本移植学会の声明をご覧下さい
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「臓器の移植に関する法律」改正の決議に対する声明 (09年6月18日)
日本移植学会理事会
本日、衆議院において、「臓器の移植に関する法律」の改正案A案が採択されたことについて、日本 移植学会の見解を述べさせていただきます。
はじめに臓器移植法の改正について、このたび衆議院で審議され、改正案A案が採択されたことにつ いて、日本移植学会として敬意を表します。またご尽力いただいた多くの方々に深甚なる謝意を表しま す。
さて、現行法が1997年に施行されて以来、善意と崇高な意思に基づいた81件の脳死後の臓器提供が 行われ、移植を受けることができた患者さんの多くが健康を取り戻しました。しかし現行法のもとでは、 脳死下での臓器提供は年間10例前後に限られているため、移植によってしか救命できない多くの患者 さんが移植を待ち望みながら亡くなられています。一部の患者さんは、小児、成人にかかわらず、やむ なく海外での移植に生きるための最後の望みをかけざるをえないのが実状でしたが、今やその道も閉ざ されつつあります。
このような状況下で現行法の改正は、臓器不全との絶望的な闘いを強いられた多くの患者さんおよび そのご家族にとっては、生きるための唯一の望みであり、文字通り悲願であったとも言えるでしょう。 これまで日本移植学会は、関係学会、患者団体とともに、本法のA案への改正を繰り返し要望して参り ました。
今回衆議院でA案が採択されたことは、移植によってしか救命しえない、そして移植を待ち望む多く の患者さんとそのご家族にとって一筋の光明であることは確かですが、この法案が制定されこれらの患 者さんを救命するためには参議院における採択が不可欠です。参議院におかれましても、「自国民を自 国内で救う」べく、速やかにA案が採決されることを強く要望します。
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こうした視点からの議論はたくさんなされてきました。しかしここには、医療従事者が患者に対して与えてきた「苦悩」に対する思いやりはありません。「いや、我々は常に患者のことを考えている」と言われるかもしれませんが、少なくとも「個人」ではなく「学会」としての声明である以上、医療の現場に対する不信感を少しでも払底しようとする努力がなされるべきです。しかし、残念ながら移植学会のHPのどこを見ても、そうした視点での積極的な見解はありません。
医療従事者に遠慮があるのか、こうした意見を目にしたことはありません。しかし、誰も言い出さないことではあっても、背景に「医療に対する不信感」が存在していることは間違いないと思います。移植を推進するのであれば、こうした点をクリアする努力がどうしても必要であると思うのは私だけでしょうか。
● 有権者としては自業自得とはいえ、こんな政治家に任せて良いのかという疑問
国会の論戦(というほどしっかりした議論がなされた様子は残念ながらありません)の中では、「どちらがよいか」という点と、「子どもの脳死判定が難しい」ということだけしか見えてきませんでした。移植法案を通すことに対して切実な思いを持っている人たちの気持ちも、移植法案によってかえって苦しめられるのではないか、と恐怖を感じている人たちの恐れも当たり前にあることです。しかし、政治家にも大きな問題があります。それは、「人の痛みがわからない」政治家があまりにも多いからです。もちろん、こうした政治家を選んでしまう有権者の側の責任は大きいですが。
人の痛みがわからない政治家は、「何故こんなにたくさんいるのだろうか」と絶望的になるほどです。ちょっと思いつくだけでも、「強姦するやつは元気があって正常」「売春ツアーはODA」「従軍慰安婦は有償ボランティア」「原爆はしょうがない」「女はやっぱり視野が狭い」「日本は単一民族」「近頃の若い人は努力がたりない(から子どもを作れない)」「教員が鬱病になるのは気が弱いからだ」「女は子どもを産む機械」「ホームレスも糖尿病(になるように豊かな時代)」「アルツハイマーでもわかる」「医師のモラルが低下したこと(でたらい回しで妊婦が死んだ)」「格差が出ることは悪いことではない」などと、人の痛みがわからない政治家の発言が次々に思い出されます。
相反する「痛み」がぶつかり合う形になってしまった今回の臓器移植法案の審議が、こうした「痛みのわからない」政治家どもの手にかかっていることに、大きな違和感を持たざるを得ません。
● 死生観を押し付けられることへの恐怖
「脳死が人の死であるかどうか」という根本的な問題についても、私は二つの疑問を持っています。ひとつは「法律的な線引きと死生観の違いを同一視してしまうこと」であり、もうひとつは「死生観や遺族の感情に対する配慮にバイアスがかかってしまうこの国の現状」です。
社会が法的安定性を維持するためには、「法的な死」が定まっていることが必要です。しかし「死生観」は、法律が関知できない「個人の良心」とのぎりぎりの部分だと思います。臓器移植法案に反対する人たちの中には、根源的な部分で「法律的に死ではあるが、移植を拒むことができる」という法案の議論の立て方に、どうしても相容れないものがあるのかもしれません。
もうひとつの問題は、ある意味で簡単であり、ある意味でやっかいです。現象的には解決策が見つかる可能性がある問題が多いのですが、実は日本人が「個人の価値観の違いを認めない」というやっかいな問題を抱えていることが根源にあるからです。例えば、3月3日のエントリー「宗教的な自由とは」で取り上げたように、個人の価値観に基づいた宗教的な自由を認めないことがあります。特に取り上げた判決は、「政治が宗教の自由より優越した」例であり、もっともあってはいけないことです。
テーマがやや異なりますが、カトリック教会が聖職者に対して裁判員の「辞退」を勧めています。現状の日本では認められない(当然、罰金を課されることになる)とは思いますが、裁判官への就職そのものを禁じているカトリック教会の信徒にとっては、裁判員になることは堪え難いことであるはずです。イタリアやドイツのように「宗教的良心的忌避」が認められている国と異なり、日本の場合は「個人の良心に対する配慮」がないのです。
こうした背景を考えると、死生観を「政治がおしつける」ことの怖さを感じてしまうのです。
とにもかくにも、法案は成立してしまいました。あとはこの法案がどのように運用されるのかを、注意をもって見守る必要があります。そして、「法案が成立したから議論は終わり」ではなく、これからも実施された事例を踏まえながら議論を深めて行く必要があると思っています。
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