社会/経済

2009年6月 5日 (金)

本日の「怒」/アメリカ型「株主資本主義」は終焉を迎えるのか1


 GMが日本の「民事再生法」にあたる連邦破産法の適用を申請して倒産しました。米政府による計算された倒産であり、倒産後40日というリミット(40以内に決められた資産の譲渡先との合意が得られなければ政府は支援から手を引く)がありますが、いずれにせよ、株主資本主義と徹底した自由主義で「繁栄」してきたアメリカ経済の、ある意味での変革になる可能性が高いことは、さまざまなメディアで報道されている通りです。

 私が今回の経済危機で思い出したシーンがあります。小学生高学年(だったと思う)の頃に見たイギリス映画ですが(タイトルもストーリーも覚えていない)、保険金を払って破産したロイズのアンダーライターが、シンジケートの事務所で山高帽の底(天井?)を握りこぶしで破られ、その破れた帽子をかぶったままとぼとぼと歩いていく、というシーンです。帽子を破るのは、破産したことを示すしきたりのようで、その光景が「保険を引き受けると言うことは大変だ」という漠然とした恐怖心を私に刷り込みました。

 現在はシステムが異なりますが、ロイズは長い間、アンダーライターと呼ばれる保険引受人が無限責任を負って保険を引き受けていました。もちろん、何事もなかった時の利益は大きく、まさに「究極のハイリスク/ハイリターン」です。保険はそのようにして始まり、リスクを減らす方法が発達して現在のようになったものです。私が今回の経済危機で一番気持ちが悪かったのは、「リスクを負わないでリターンを求める株主(や出資者)の姿」でした。

 ものを作って価値を産み出す作業と異なり、金融取引での利益は基本的には「勝つか負けるか」の勝負です。ところが、何から何までこの勝負の世界の思想を持ち込んだのが、アメリカの株主資本主義でした。株主は本来、株の額面だけリスクを負います。もちろん、株価が高騰していれば入手価格は上がりますが、基本的に「限定されたリスク」しか負わないことにはかわりありません。これはヘッジファンドなどに出資する出資者にしても同じです。しかし、この「限定されたリスク」しか負わない人々が欲望を無限に膨らませたのが、まさにアメリカの株主資本主義です。

 株主は自分が株を保有している間に配当が増え、株価が上がることを望みます。株主に選ばれた取締役は、その株主の欲望に応えるために当座の利益(いや「利益に見せかけるもの」であることも多いのです)を確保することのみを目的とした企業運営を行ないます。結果として、セイフティーネットに対する投資が行なわれなかったり(カリフォルニアの大停電は記憶に新しいでしょう)、企業買収を行なって見せかけの利益を捻出するような手法がまかり通ってきました。ことは金融だけではありません。GMにしても、とりあえず利幅の大きい車を売り、企業買収で大きさを競って、本質的な問題には目をつぶってきました。海外展開や生産工程の合理化によって米国内での従業員数が激減すれば(ほとんど10分の1)、年金が破綻することは明らかです。(もちろん、それを隠蔽し続けてきたのは日本政府も同じです。)資源が減少する(高騰する)ことが明らかであるのに開発を怠れば、それなりのつけがまわってくるのは明らかです。こんなにはっきりしたことから逃げてきたGMがそれを許されてきたのは、利益を求める人たちの要求と、アメリカの文化そのものだ、という「潰れない」という安心感/おごり、でしょう。

 多くの働き手を路頭に迷わし、政府からの何兆円もの救済資金を受け取らなければならない状況を作り出した張本人たちは、何百億円もの報酬を得てのうのうと暮らしています。GMをこのようにした過去の経営陣も、失業者数百人を食べさせられるだけの報酬を得て、今頃は豊かな老後を送っていることでしょう。日本でも、粉飾を繰り返して多くの人たちを苦しめた御仁は、経営者として追われて刑事訴追をされても、六本木ヒルズに住み続けて贅沢な生活を続けています。この欲望に取り憑かれた怪物たちから見て、山高帽をぶち抜かれたアンダーライターがはるかにまっとうな姿に見えるのは、気のせいなのでしょうか。

2009年3月27日 (金)

本日の「怒」090327/リニアは本当に必要か?


 しばらく更新できませんでした。世の中に怒っていない訳ではなく、単に時間がなかっただけですが・・

 今日の話題は東名リニア新幹線です。実現するかどうか怪しかったのですが、そろそろ具体的に動き始めました。昨年12月にJR東海が5兆円余りの建設費を自己負担することを決めてから、さまざまな動きが活発になってきました。私は、リニア新幹線には賛成しかねる立場です。理由は

1)輸送力として本当に必要かが疑問/総量としても、利用者の立場からも疑問があること
2)経済効果を過大に見積もっているのではないか
3)自然破壊につながらないか、また人体や環境への影響が精査されているか疑問
4)余剰資金があるのなら旧国鉄の借金の返済に廻すべきではないか

という4点です。

1)輸送力として必要か

 リニア新幹線が浮上したのは、東海道新幹線の輸送力が限界に達するとされたことが最大の理由です。確かに東海道新幹線の乗客はほぼ右肩上がりに増え続け、増発も限界に達してきました。繁忙期には、1週間前では希望する列車の予約がとれないことも珍しくありません。(2000年約400億人キロから2006年は約450億人キロに)これを前提に、2020年に開業した場合は輸送量が約600億人キロに増加すると見積もられています(経済成長率を2%と仮定した場合)。

 人口の増加が収まってからも新幹線の輸送実績が増えていることを根拠に、少子化時代でも経済成長が続く限り輸送力が増え続けるという前提に立つこの試算には、どうしても納得できない部分があります。

 輸送主体が原因の死亡事故を一度も起こさないで、これだけ便利(スピードアップ)に、使いやすく(本数を増やす)ことができたJR東海の努力には頭が下がる思いです。月に2、3度の出張で新幹線を利用している身としては、利便性も上がり(切符もいらない)嬉しい限りです。こうした点から考えると、リニア新幹線はもっと便利なものになるでしょう。しかし、輸送人員はこれからも増え続けるのでしょうか。

 まず考えなくてはならないのは、経済の効率化が進むと、新幹線の最大の利用客である出張者の利用が減少するだろうということがあります。通信手段や民間の宅配便などの進化で、インターネットを使った会議などが増えると、直接的に出張の現象に結びつきます。今回の経済危機では、事業所の統廃合などが進んでいますが、こうしたこともビジネスマンや研究者の移動の現象につながります。

 少子化が進むと同時に、団塊の世代のリタイアが本格化すると、ビジネスシーンでの新幹線の利用は減少するでしょう。こうした要素をどのように考慮しているのか、大きな疑問があるのです。

 頻繁に利用している立場で言うと、東京/大阪にかかる時間は、ほぼ許容できる範囲内になった感じがします。2時間半という時間を1時間強に短縮する必要性を、それほど大きく感じないのです。もちろん、時間が短ければ短いほど便利であることは間違いありませんが、3時間を切っている現状は、十分に時間を有効活用できるのです。早朝の列車に乗って最終で帰るのであれば、大阪市内に12時間以上滞在できます。これは、一日の労働量としては充分すぎます。3時間を大きく超えると確かに微妙です。以前のように3時間10分が基本であれば、「もう少し速く」と願ったでしょう。3時間10分を2時間半に短縮することと比較して、もちろん2時間半を1時間強に短縮する方が割合も絶対値も短縮される度合いは大きいのですが、その価値は物理的な数値ほどではないように感じます。

2)経済効果について

 まず時間の問題です。上記のように、東京/大阪でも一日の労働量を確保できる移動手段は今でもあります。ですから、リニアによって短縮される時間が、ただちに生産効率のアップにはつながらないのではないか、という疑念があります。1時間強で大阪まで行けるのであれば、労働を増やすのではなくて、飲んで帰るかもしれませんね。それも経済効果だ、と言われればその通りですが(苦笑)

 現状の東海道新幹線でいえば、N700系になって座席の各列に電源が設置され、春からは車内でインターネットもできるようになります。本当に時間がないビジネスマンなら、車中でも寝るか/仕事をするか、有効な時間の使い方は十分にできます。

 あくまで個人的な例ですが、私の経験と選択をご紹介します。以前、神戸に出張するときに何回か飛行機を使いました。神戸空港(賛否両論があります。私も「否」の方ですが・・・)ができて、三宮へのアクセスがとても便利になりました(神戸空港で飛行機を降りてから三宮まで20分)。時間を計算すると、私の仕事場から三宮まで空路を使うと最短2時間50分。新幹線だと(新大阪乗り換えでも新神戸からタクシーでも)おおよそ3時間40分。計算上は空路の方が50分早いのですが、時間の利用効率が全く違います。飛行機のフライト時間75分のうち、機内でパソコンを使って仕事ができる時間は約20分しかありません。羽田までのアクセスや神戸での移動中はもちろん仕事はできません。これに対して、鉄路の場合は新幹線の2時間半と新大阪から三宮までの25分間、ほぼフルにパソコンを使えます。つまり、空路だと2時間以上が空費されるのに対して、鉄路だと無駄な時間は1時間未満になるのです。この事実を理解して、空路を使うのは止めました。もちろん、リニアの中では仕事ができるでしょうが(本当かなぁ・・)、新幹線は意外に時間が無駄にならないものなのです。値段が違えば、リニアではなく新幹線を選択する人も多いのではないかと思います。

 インフラが整備されて行く過程で行なわれる経済効果の調査(予測)ほど当てにならないものはありません。道路整備や東京オリンピックの誘致のように、最初から意図して目標値を決め、そのためにあり得ない数値を当てはめて作り上げるものは論外ですが、その他のものでも「でたとこ勝負」というものが少なくないのです。「JR東海は民間企業だから役人や政治家が税金を使ってやるほど無責任な予想はしないはず」という記述も見たことがありますが、少なくとも倒産の危険がない(JR東海が潰れそうになったら当然公的資金で救済されるでしょう)会社が、政治や官僚、地方公共団体の圧力を受けて計画するものが、普通の企業のようなリスク管理ができているとは到底思えません。

 リニア新幹線の経済効果は初期の10年間で10兆円を超える、という予測を見たことがありますが、どうしても信用できないのです。

3)自然破壊につながらないか、また人体や環境への影響が精査されているか疑問

 JR東海は、リニアをアルプスを貫くルートで計画しています。「技術的な目処はついた」そうですが、環境への影響はきちんと評価されているのでしょうか。

 山の土手っ腹に穴をあけることによる環境破壊は、実はよくわかっていません。地下水脈がどのように巡っているのか、水脈のようにはっきりした流れになっていなくても循環があるのか、結果は「やってみないとわからない」状態なのです。また、時速500キロで走る鉄の固まりが作り出す振動の影響も計算しようがありません。「影響がないという結果」が絶対的なものであると断言する人がいれば、その人は「嘘つき」であるか、「非科学的」だと言わざるを得ません。

 車中の人への影響、路線周辺の人間や構造物にたいする影響も、(この手の環境評価の常として)過小評価されているのではないかという疑念が残っています。そうした点をどのように説明してもらえるのか、注目する必要があるでしょう。

4)余剰資金があるのなら旧国鉄の借金の返済に廻すべきではないか

 JR各社が国鉄の分割民営化に伴って借金を帳消しにされ(一部は返済していますが)、身軽になって経営体力を「もらった」ことは周知のことですが、国の借金がこれだけ膨張している時に、余剰資金があるのであれば少しでも国に返したら、と思うのは私だけでしょうか。インフラと顧客を「もらって」作り上げたお金なのですから。

 さて、否定的な側面ばかりを書きましたが、ひとつだけ引っかかっているところがあります。それは、「東海道新幹線の代替輸送機関として」の役割です。新幹線が正常に運行されている間は良いのですが、そのうち設備の全面的な点検・改修が必要になるでしょう。工事の方法、期間にもよるでしょうが、代替輸送機関が確保できるかどうかの問題は残ります。しかし、リニアの完成までにかかる年月を考えれば、他の手段が工夫できるのではないかと思っています。

2009年1月 5日 (月)

日本の取るべき進路について1/きちんと「懲り」ましょうよ


 最近、好意的に取り上げることが多かった日経の社説ですが、新年はまた旧来の路線に戻ったかのようです。長いのですが、全文を引用します。

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社説 危機と政府(1)賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ(1/1)
 米国から世界に広がった金融・経済危機は、経済活動への政府のかかわり方を根本から問い直している。

 米金融危機の一因に監督や規制の甘さがあったのは否めない。そして今は金融混乱の収拾や景気・雇用対策で政府の役割が期待されている。しかし資本主義の活力をいかすには国の介入は少ない方がよい。特に日本はまだ規制が多すぎる



役割の再定義が必要

 どんなときに、どの程度の関与が望ましいのか。「小さな政府」から「大きな政府」へ振り子がふれるなかで政府の役割の再定義が必要だ。

 サッチャー元英首相、レーガン元米大統領らが1980年代に進めた規制緩和や民営化などの改革は競争力を強め、90年代を中心とした米欧の長期好況の基を築いた。

 市場を信頼し自由競争を重んじるこの保守主義の政策が金融危機を招いたとする見方もあるが、必ずしも正しくない。保守主義は「何でもご自由に」ではないからだ。問題は米欧の金融当局が、この政策思想を適切に運営しなかった点にある

 所得も蓄えもないような人にまで住宅ローンを貸し、その債権を証券にして売る。そんな詐欺まがいの取引を見逃したのは金融当局のミス。金融危機の再来を防ぐため規制や監督の強化はぜひ必要である。

 一方、金融・経済の危機を受けて各国が取り始めた財政・金融政策は「大胆に、しかし一時的に」が大原則だ。30年代の大恐慌の後、ケインズが提唱したのは、景気の落ち込みをなだらかにする短期的な政策である。ノーベル経済学賞を受賞したJ・ブキャナン氏は、このケインズ的な財政政策は民主主義の政治過程のなかで財政を悪化させる傾向があると指摘した。国と地方の長期債務が国内総生産の1.5倍に膨らんだ日本はその典型である。

 昨今のように、市場経済の心臓部である金融部門が傷み、景気や雇用が落ち込むときには、大胆な財政活用も必要である。だが、そうした政策をダラダラと続けないためには、次の景気回復を引き寄せるような戦略的なカネの使い方が大事だ。

 例えば大都市部の空港や主要港湾の整備、環境対策車や太陽電池の開発・普及促進などは、経済の競争力を強めるのに意味がある。特に環境関連は地球温暖化阻止に役立つだけでなく、日本の技術力をいかし次の景気回復のリード役にできるので税金の使い道として有効である。

 雇用対策では必要性が高い分野の公共事業を含む当面の失業者救済とともに、職業訓練を通じて技術や知識を高め、次の職探しに役立ててもらう方策も大切である。

 また当面の危機克服策を、経済がどうなったときにやめるかという「撤退のメド」を決めておくのも過剰な介入を防ぐのに有用である。

 この時期にもう1つ重要なのは政府が保護主義に傾かないことだ。米国の自動車救済融資はやむを得ないが、欧州などの多くの国がマネし始めたのも事実。世界貿易機関(WTO)の協定にも触れるこの種の措置は、保護主義の連鎖を起こし貿易を縮小させかねない。WTOの多角的貿易交渉の大筋合意は年越しとなり農産物市場の開放問題を抱える日本政府はホッとしているが、そんな場合ではない。保護主義の広がりを抑えるため、貿易立国の日本こそ交渉の先頭に立つべきである。



役人の便乗を許すな


 経済危機が深まり政府への期待が高まるのに乗じて、規制や権限を強めようという動きが中央官庁や地方自治体の間で活発になっているのも憂慮すべき事態である。

 厚生労働省はインターネットによる医薬品の販売を規制する方針だ。離島や中山間地に住む人などに便利なこの販売を規制する理由がどこにあるのか。ドラッグストアなどを守るためだとしたら本末転倒だ。

 国土交通省が検討するタクシー業界への参入規制復活も弊害が多い。不況下でこの業界が雇用の場を提供している事実を軽視してはならない。地方自治体では、低価格で髪を刈るだけの店に洗髪設備を義務づける動きもある。既存の理髪店の保護が狙いとしか受け取れない。

 小泉政権の下で郵政事業の民営化などに踏み出したものの、医療、農業、教育、運輸など成長につながる多くの分野で、民間の力をいかすための改革が足踏みしている。この歩みはさらに遅れるのだろうか。

 賢くて強く、社会的弱者を守れる政府は必要だが、企業の活力をそぐお節介な政府や、国を借金漬けにする放漫な政府は要らない。経済の面では、市場経済がうまく回るような環境づくりを過不足なく進めるのが本来の役割だ。「大きな政府」待望論が強い今、あえて強調したい。(日経社説090101)
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 こうした論調の背景には、強烈な「現状肯定意識」があります。すなわち、「資本を自由に振る舞わせれば、人間の幸福が最大限に向かう」という論理です。この論理には、二つの(意図的な?)誤りがあります。

 ひとつは、「人間は持っているものを守ろうとする」という意識を理解していないことです。ぎりぎりの生活をしている人は、自分の生活を守るために最大限の努力をします。しかし、100億円の財産を持っている人は、それが一生、いや、子々孫々にわたっても使い切れないものであっても、その財産を守ろうとするのです。かつて人間が奴隷を使っていたとき、奴隷を使う多くの人々は、奴隷の意識を想像することができずに自分たちが「奴隷を使えなくなる」ことを恐れました。そのために、「白人は黒人より優れている」という「論理」を作り出し、奴隷を使うことを正当化しました。富や生活は、想像力を働かせないと「後戻りできない」ものなのです。100億円の財産を持つ人が、せめて10分の1でも衣食住に事欠く人のために使えれば、貧困問題は解決します。しかし、100億円の財産を持つ人の興味は、相続税の軽減であったり、配当課税の特例だったりするのです。何兆円もの内部留保があっても、少しでも減りそうになると「何万円」というお金に事欠いている労働者の首をきることは簡単なのです。日経(や読売、産経)の社説の背景にあるものは、こうした「人間の意識」を正当化する、そして財産を持つ者の「現状を肯定する」ための論理なのです。それが「破綻しない程度に」セイフティーネットを作れ、と言っているに過ぎません。労働者が本当に「反乱」を起こしてしまうと、その富が守れなくなるからです。

 もうひとつは、「市場を信頼し自由競争を重んじるこの保守主義の政策が金融危機を招いたとする見方もあるが、必ずしも正しくない。保守主義は「何でもご自由に」ではないからだ。問題は米欧の金融当局が、この政策思想を適切に運営しなかった点にある。所得も蓄えもないような人にまで住宅ローンを貸し、その債権を証券にして売る。そんな詐欺まがいの取引を見逃したのは金融当局のミス。金融危機の再来を防ぐため規制や監督の強化はぜひ必要である。」というところに表されています。「基本的には資本の活動は自由に、しかし適度な規制は必要」という論理が成立し得ない(矛盾する)ということに、この社説を書いた論説委員は気がついていないか、意図的に無視しています。市場、そして資本は、自由競争を行なえば、前項の人間の性質から、必ず「行き過ぎ」るのです。富/資本は、大きくなればなるほど、さらに大きくなろうとします。10万円しか持っていない人は、1万円「儲かる」と喜びます。しかし、100億の富を持っている人は、100万儲けても満足しないのです。(ここに「割合」をあてはめることはできません。当てはめられるとすれば、富が無限に増殖する場合だけです。例えば、銀行に100兆円定期預金を預けようとしたら、拒否されるでしょう。そんな額の預金に利息を払うことはできないからです。)すなわち、基本的に富が無限に増殖するという前提に立たなければ、「自由にさせて崩壊する」か「規制をかけて崩壊を防ぐか」の二者択一しかありえないのです。

 大切なことは、規制をかける「目的」と「方法」です。そのためには、上記の二つの「資本の論理」を理解するところから始めないと話にならないのです。特に、「米金融危機の一因に監督や規制の甘さがあったのは否めない。そして今は金融混乱の収拾や景気・雇用対策で政府の役割が期待されている。しかし資本主義の活力をいかすには国の介入は少ない方がよい。特に日本はまだ規制が多すぎる。」と本気で考えているのであれば、問題です。ここで言う「資本主義の活力」とは、「富めるものがさらに富を大きくしようとする力」でしかありません。

 昨年暮れのエントリーで、大企業がアメリカ化し、短期的な利益に重みをおいて株主の利益に応えようとしていることを指摘しました。ソニーのCEOのように、はっきりと「株主のために利益を上げるのだ」と言い切れる日本の経営者はまだ少ないと思いますが、経営者が自己の収入を最大化しようとすれば、株主利益を追求することが「善」になります。利益が上がり株価が上昇すれば、さらならう利益を求められます。こうして「どんなことをしてでも利益を上げれば勝ち」という風潮が広がり、まさに「世界中がアメリカ」のようになってきたのが、この30年間の世界経済の動きでした。日経の社説は、「基本的には今までの方向は正しい。しかし、少しやり方を工夫しよう」というものに過ぎません。

 それは、例えば後段、「国土交通省が検討するタクシー業界への参入規制復活も弊害が多い。不況下でこの業界が雇用の場を提供している事実を軽視してはならない。」などには、「奴隷」とまではいいませんが、「とりあえず最低の賃金でも職場を与えておけ」という意識がほの見えます。実際にタクシーの運転手がどのような状況にあるのかを無視し、仕事を失った人の受け皿としか捉えていないこのセンスのなさは、しょせん日経が年収300万以下の層など「眼中にない」ことを晒しています。そう思うと、昨年暮れの日経の社説/記事は、あくまで「派遣を切らねばならない状況」を憂いているのであって、「派遣でコストを下げる構造そのもの」は否定していないのだとわかります。この点については、私の不明を恥じるばかりです。

 次回は、少し具体的なことを書いてみようと思います。

2008年12月17日 (水)

本日の「怒」081217/都合が悪くなると「労使一丸」、経団連の報告と「一流」企業の本質

 やや長いですが、お付き合いください。面白いと思います。

 昨日、経団連から「2009年版 経営労働政策委員会報告 ー労使一丸で難局を乗り越え、さらなる飛躍に挑戦をー」が発表されました。これは毎年経団連が、翌年の春闘に向けての指針を示すものとして出版されているもので、いわば「経営者の指南書」でもあります。「みぞうゆうの」経済危機の中、経営者側がどのようなことを考えているのかを知ることができるよいテキストです。全文は読んでいない(630円も払って読む気もありませんが・・)のですが、今朝の新聞各紙も大きく取り上げていますので、概要を知ることはできます。

 まず、昨日の共同通信の速報です。

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雇用安定で労使が全面対決へ

 日本経団連は16日、09年春闘での経営側の交渉指針を示す「経営労働政策委員会(経労委)報告」を正式発表。雇用の安定については、あくまで努力目標と位置付け、原案段階での「最優先とする」という表現を後退させた。賃上げを抑制する姿勢も打ち出した。これに対し、連合の高木剛会長は「非正規労働者を解雇してまで利益を配当に回す経営を信用できない」と批判。春闘では労使が全面対決する構図となった。(共同通信/下線は家主)
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 これに、本日付の朝日新聞のソニー社長へのインタビュー記事を重ねて見ます。

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 ソニーの中鉢良治社長は16日、朝日新聞のインタビューに答え、業績の落ち込みについて「需要減の影響が一番大きい。これほどとは思わなかった」と世界同時不況が予想を超えた打撃を与えたとの認識を示した。また「雇用を優先して損失を出すことが、私に期待されていることではない」と収益改善を急ぐ姿勢を強調した。
 ソニーは液晶テレビなど主力のエレクトロニクス(電機)部門の人員を世界で1万6千人以上減らすリストラを発表。中鉢社長は「経営の立場からは株主の期待にこたえよということ。問われているのは経営者が最善の努力をしたかどうかだ」と述べた。「人員と工場、投資抑制のほかにも、(リストラを)進める」とし、今後、不採算事業の選別や設計、販売体制の見直しなどに踏み込み、成長戦略の強化策も打ち出すことを明らかにした。(後略/朝日新聞/下線は家主)
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 なるほど、「一流」企業経営者が如何に会社のこと、即ち株主利益を最優先にして考えるという正道に則っているかということがよくわかります。つまり、経営者が求めているのは「労使一丸となって株主利益を最大限に守れるように努力せよ」ということなのです。たとえ何万人の首を切ろうとも、会社の持ち主である株主に利益を配当できれば、経営者としては「最善の努力をした」と胸を張れるのです。

 もちろん、「産業経済新聞」たる本領を発揮し、創造者の方向に応えたのは、産經新聞です。やや長いですが全文を引用します。

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 日本経団連が平成21年春闘の指針となる「経営労働政策委員会報告」をまとめた。副題は「労使一丸で難局を乗り越えて」と労使協調を前面に出す異例の表現だ。
 米国発の金融危機に伴う景気の悪化はかつてないほど急だ。厳しい経営環境を乗り越えるには労使協力が不可欠な情勢である
 経労委報告は積極的な賃上げ姿勢を示した20年春闘から一転して「今次労使交渉・協議は雇用の安定に努力することが求められる」と雇用優先をうたった
 背景には、派遣やパートなど非正規社員の契約打ち切りだけでなく、雇用調整が正社員にまで広がっている現実がある。雇用調整の拡大は社会の安定維持の観点からも放置しておけない。経団連が雇用確保を経営者らに求めたのは至極当然だ。
 報告書はまた、失業対策について政府の積極的な対応を求めた。製造業の派遣社員の多くは寮生活をしているため、失業と同時に住まいも失うケースが目立つ。麻生太郎首相は記者会見で、雇用促進住宅などを一時的に提供するといった緊急の失業対策を約束した。失業者救済のため、対策に万全を期すのは政府の責任といえる。
 景気の悪化はまた、雇用保険や年金の未加入問題など非正規社員をめぐる安全網の不備も浮き彫りにした。
 今や雇用者の3人に1人が非正規社員だ。このままでは将来の社会保障制度の維持も難しくなる。雇用制度全体の見直しも喫緊の課題である。
 こうした経営側の春闘方針に対し、労働側はどうか。連合はすでに「物価上昇分に見合うベースアップで生活水準の維持と内需喚起につなげる」として「1%台半ば」の賃金改善を求める春闘方針を決めている。
 しかし来年3月期決算の業績見通しは、大幅な減収減益を予想する企業が多い。増益の企業には積極的な賃上げを求めるのは当然として、賃上げが現実的要求かどうかの再検討は必要だろう。
 連合も今回は対決より協調を重視し、非正規社員を含む雇用の維持に全力を挙げるべきだ。労働を分かち合うワークシェアリングを経営側に提案してもいい。
 日本企業の特徴は安定した労使関係にある。いまこそ雇用の維持のため、その利点を春闘に生かしてほしい。(産経社説)
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「日本型労使関係」を破壊して来たのは、新自由主義に毒された日本の経営者と政治家たちです。終身雇用を否定し、「能力主義」という選別を横行させて、「労働コストの見直し」による正社員の非正規雇用へのドラスティックな転換を促して来たのです。労働組合の組織率が18%にまで落ちてしまったのは、労働組合自体が「役に立たない」しろものになりさがったことが最大の原因ですが、これは70年代以来、政府・財界が一体となって行なって来た「組合の無力化」の結末でもあります。そうした歴史的経緯を実際に目にして来たものにとっては、「労使一丸」という言葉を、経営者側がなぜ恥ずかしくもなく使えるのかがわかりません。産經新聞の社説は、「こういうときこそ労使一丸」という経営者側の主張を取り入れ、「セーフティーネットの充実を政府が」という、まさに経団連の主張をそのまま引き写しています。

 読売新聞も、堂々と経営者よりの報道をしています。引用はしませんが、社説も産経とほぼ同じ論調。

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 日本経団連は16日、2009年春闘の経営側の指針となる「経営労働政策委員会報告」を発表した。
 雇用問題については「雇用の安定に努力する」とし、賃上げについては「生産性の上昇を伴わない賃金上昇は、わが国の高コスト体質を加速させる」と否定的な見方を示した。
(中略)
 経済情勢の悪化を乗り切るために、労使が協力する必要があるとの考えをしめすとともに、労働側が目先の労働条件の改善を要求することを牽制したものだ。」(読売新聞)
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 日々、首切りにおびえ、派遣が切られて人手が減った職場で酷使されている労働者も多い中で、「目先の労働条件」という表現で、労働者側に「思慮がない」ことを印象づける狙いでしょう。こうした「さりげない挿入」は、記事を読む人に絶大な効果を発揮することがあります。

 さて、これに対して、日経の社説が「おや」と思わせる思い切った内容でした。これも長いですが、全文を引用します。

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社説1 非正規の雇用対策に労使とも力尽くせ(12/17)

 日本経団連は16日、来春の賃金交渉に向けて経営側の指針となる2009年版「経営労働政策委員会報告」を発表した。連合も同日、緊急雇用対策会議を開いた。労使双方の全国レベルの団体がそろって雇用問題についての見解を表明したわけだが、具体的な内容に乏しく、日々悪化する現状への影響はほとんど期待できそうにない。

 ことに経団連の「経労委報告」は、雇用問題について心構えを説くだけにとどまっている。序文で「雇用動向の急激な悪化により、雇用の安定が極めて重要な課題」と書きながら、経営側として何をなすべきかが無い。来春の賃上げには「ベースアップは困難と判断する企業も多いものと見込まれる」と評論する。

 要は賃上げどころではないと言いたいために、「雇用問題」を持ち出しているようにみえる。当初は「賃上げより雇用の安定を優先する」という趣旨で議論したらしいが、「努力する」に落ち着いたという

 発表の会見には経労委委員長の大橋洋治経団連副会長(全日本空輸会長)が出席するはずだったが、急に体調を崩して欠席した。経労委は複数の副会長をはじめ多数の企業トップで構成しているが、事務局任せの会見となった。後で御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)が数分の記者会見に応じたが、組織として危機感があるのか疑わせる対応だった。

 連合は地方組織の代表者らを集めて緊急雇用対策会議を開いたが、中身は11月20日の中央執行委員会で決めた緊急対策の進み具合の確認と情報交換が中心だった。緊急対策は政府、政党、経営者団体への申し入れが柱である。肝心の傘下にある企業の労働組合が、雇用問題にどう対処すべきかについての踏み込んだ指導が弱いため、存在感が薄い

 世界的な金融危機の影響で、自動車や電機などの輸出産業を筆頭に、生産が急ピッチで落ちている。このため大手企業は非正規労働者を中心に速い速度で雇用を減らしている。市場経済だから、景気動向により雇用調整は避けられない。個々の企業により事情は様々で雇用の削減を一律に規制するわけにはいかない。

 しかし正社員の場合は企業と労組が交渉して、削減数や退職条件を双方が折り合って決める。非正規は、もともと雇用の調整弁という位置づけのため妥当な線がわかりにくい。政府による離職者対策の充実は必要だが、労使も非正規労働者の解雇について条件や支援策に手を尽くすべきである。経団連や連合には、それを指導する社会的な責任がある。(日経社説)
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 正直に言うと、日経の社説には驚きました。こういう書き方をするとは予想していなかったからです。どうしても経営寄りになりやすい日経の記事ですが、今回の経済危機に関しては、本質を理解して危機感を持っている編集委員が少なくないのかもしれません。「一流」企業の経営者は、この日経の社説を読んでどう思うのでしょうか。 

2008年11月 9日 (日)

本日の「怒」081108/正直者が苦しむ社会・・・「事故米」事件


 7日付の朝日新聞に、事故米を納入され知らないうちに使ってしまって、売り上げが壊滅的に減ってしまった中部地方の業者の話が載っていました。この業者は、納入先のために自主的に情報を公開し、結局、給食などの入札から外されてしまったそうです。社長は、「誠意を持ってわかっていただくしかない。従業員の首は切らないで切り抜けたい」と覚悟を語っています。自分が主導して偽装を行なった業者は、表面化すると従業員に責任転嫁したり、すぐに首を切ったりすることがほとんどです。それに比べて、この社長はしっかりしていると思いました。

 思い起こせば、雪印の偽装を暴露した食品倉庫会社は、雪印本体が生き延びたのに、廃業の瀬戸際まで追い込まれました。今回の事故米の問題でも、「事故米をできるだけ食用に使うように」という農水省の通達(これ自体は、「記述ミス」で済ませようとしていますが、そうでないことは通達を見れば歴然としています)や、60回も検査に入りながら偽装を見逃した農水事務所の責任は曖昧に済まされるだろうことは、この国の「責任の取り方」を考えると、残念ながらハッキリしています。

 トップになればなるほど責任を取らない組織、大きくなればなるほど責任を逃れる会社、こうした事例がどれほどあることでしょうか。

2008年11月 4日 (火)

今必要な経済対策は/5・・・日本の経済のいびつな状況5(社会の階層変化と生活習慣)


 食品に関する不祥事が絶えません。直接的に危険物が混入しているケースから、産地偽装、消費(賞味)期限の改ざん、廃材の使い回し、成分表示のごまかしなど、食品についての問題が報道されない日はないといってもよいほどです。さらに、連日のように報道されているわけではありませんが、遺伝子組み換え作物などに対する漠然とした不安も広がっているのではないかと思います。

 少し話がそれるように思われるかもしれませんが、「消費行動が商品を生むのか、商品が生まれて消費行動が作られるのか」ということを考えてみると、実に難しい問題に突き当たります。反対の立場で言えば、「求められているものを作る」のか、「作ったものを良いと思ってもらうのか」という違いになりますが、現代の企業は、「それを買わせるようにしむける」ことにも長けているのではないかと思います。例えば、冷凍食品は「日持ちがするのでいざという時に使える便利なもの」から「調理時間を短縮/調理を単純化するためのもの」となり、冷凍食品の種類や用途が広がることで「料理を増やすもの/家で作るより美味しいもの」へと変化していきました。この最後の段階に至るまでには、「家で調理しない」層の広がりがあります。

「家庭で食事をきちんと作らなくなった」と指摘され始めたのは、1980年代後半からでしょうか。女性の社会進出と核家族化が進み、家で時間をかけて食事を作ることができない層が増え始めた、と言われています。確かにそうした側面はあるでしょうが、それだけが内食が減っていった原因ではないように思います。外食や中食が増えた背景には、「画一化された味覚に慣れ親しんできた」ことが大きな要因であると思うのです。食品メーカーとしては、大量に作って大量に消費されることがいちばん望ましいわけですから、ヒット製品を生み出してみんなが同じものを買ってくれることはとてもありがたいことなのです。「家庭の味」から「画一化された外の味」に慣れることは、こうした食生活を送る人たちが増えるための条件でもあったのです。(このあたりのことは、別にまとめたいと思っていますが)

 さて、こうした状況の中で食品にまつわるトラブルが多発すると、多くの消費者は消費行動に戸惑いを生じることになりました。もともと内食が多い家庭では、問題とされて来た食品トラブルによってあまり大きな影響はありません。それは、単に冷凍食品を使わないからではなく、食材を買う時に常に「どれが美味しいか/安全か」を気にしているからです。出来合いのものばかり食べたり外食ばかりだと、「美味しいか」には注意が向いても、それ以外に対するセンサーが弱くなってしまうのです。そうなると、何かが起こるたびに不安を抱えて右往左往することになってしまいます。全体としてみても、消費者が同じような行動をとると、その影響は大きくなってしまいます。これが、「単純化することの恐ろしさ」に通じます。

 さて一方で、社会全体の階層構造に劇的な変化が生じています。新自由主義のもたらす必然的な結果なのですが、あらゆる部分に余裕があるごく少数の層と、生活し家庭を再生産することだけで手一杯の層への二分化です。新自由主義の思想的支柱は、「経済を極限まで自由化すれば経済全体が拡大/進化して、あらゆる人々を豊かにする」というものです。これが嘘っぱちであることは、お金をたくさん得た人たちがとる行動を見れば明らかです。100億の財産を持っている人は、10億を失うことを恐れます。資本も、大きくなればなるほどより大きさを求めるようになり、それ以外のことが目に入らなくなります。結果として富は集中し、それ以外の人たちはその富によって支配されるのです。新自由主義者は言います「努力すれば誰でも成功できるのが新自由主義。負けるものはその人に問題があるからだ」と。そうかもしれません。努力して小泉家に生まれた純一郎君は、働いてもいない会社に厚生年金を負担してもらえました。ブッシュ家に生まれたかの地の大統領は、親の力で努力して兵役を逃れ、大統領まで登り詰めたのです・・・・

「一億総中流」なんて言葉が流行ったのは、もう何十年前のことでしょうか。確かに、日本は一時期、多くの人たちが中流意識を持っている時代がありました。会社に入って努力すればそれなりに給料が上がり、生活にも余裕ができて、最後には家を建てて人生を終える、という道筋を共有化した時代があったのです。もちろん、こうした時代に問題がなかったわけではありません。しかし、日本人の勤労意識を支えて来たこうした「将来に対する展望」がなくなった今、どんなに努力をしても勝ち組に入れない人たちは、生活ぎりぎりの収入に耐えるしかなくなっています。大手輸出企業や金融機関が空前の利益を上げている下では、年収300万はおろか200万にも満たない非正規雇用に喘ぐ人たちが爆発的に増えて来たのです。

 食品の問題が起こっても、普段から十分に注意する時間と経済力がある層や、それが欠けていてもある種の努力をしている人たちにはさしたる変化が生じません。しかし、1円でも倹約しようとしている人たちは、自分の消費行動が「社会的に方向性をもって変化して来た」以上、現在の状況にうろたえるしかないのです。子どもを育てる十分な環境があれば画一的な食品を買わなくても済んだかもしれない人たち、不安があってもそれを使うしかない人たち、こうした人たちにとっては、全ての状況が自分たちにとって危機的であると感じるはずです。

「資産が半分になった」と嘆いている人の話をよく聞いてみると、10億円が5億円になったのかもしれません。一方で、なけなしの老後の資金を、郵便局員の言うがままに投資信託に回し、将来への不安を増大させてしまった人たちも多いのです。こんな社会で、果たしてどのような経済対策が有効なのか、次回からひとつずつ考えていきたいと思います。

2008年10月31日 (金)

今必要な経済対策は/4・・・日本の経済のいびつな状況4(景気の判断)


 参議院の審議で牧山弘恵議員にカップラーメンの値段を聞かれた麻生首相、「400円くらいか」と答えて庶民との違いを見せつけてくれました。さすが、入会するのに50万以上かかるホテルの会員制バーを「安くて安心なんだ」と宣うた「セレブ首相」です。どちらを向いた政治をしようとしているかを如実に物語っているとも言えますが、経済政策の方向性について語ることが報道される人たち(経済界のVIPやエコノミストたち)の多くは、同じような方向を向いているのではないかと思ってしまうことが多いのも事実です。

 実体経済がかなり悪いことは、すでに盛んに報道されています。私のまわりでも、いつもは応募者がいないアルバイトの募集に希望者が殺到したり、高いメニューが出なくなったりという「実例」がたくさんあります。恐らく、充分注意を払って見回せば、不況の証にほとんどの方が出会うことができるでしょう。それでは、今回の「不況」はどのようなものなのでしょうか。

 政府は、景気動向指数を基に景気を判断することが普通です。それ以外には、景気ウォッチャー調査、日銀の地域経済報告などが景気動向を計る物差しとして使われています。景気動向指数は、景気の変化を反映すると考えられるデータを選択して取り出し、それを「先行指数」「一致指数」「遅行指数」に分類して景気の動きを計るものです。各データは3ヶ月前と比較され、景気が拡大している割合が全体の何パーセントであるかを指数とします。基本的には、50%を超えると景気は拡大局面にあり、下回ると後退局面にあるわけです。問題は、この指数を構成する各種のデータです。在庫や製品の出荷額、企業の景況感などと家計などの統計が使われていますが、このデータ自体が表すものがどのような内容なのか、ということが「微妙」な問題であると感じるのです。景気動向指数が景気の状態を正確に反映しているか、生活者の実感に合っているかどうかは、私のような素人だけでなく政府や日銀も全幅の信頼を置いているのではないようです。景気や政策の判断には、月例の景気判断だけでなく、景気ウォッチャーの調査なども参考にされているのです。

 実際、このブログでも何回か書いていますが、景気の悪化を私が実感し始めたのは(政府の景気判断では、今年の2月がターニングポイントのようですが)昨年の夏過ぎでした。友人たちに聞いても、昨年の暮れにはもう良い話を聞かなくなっていましたので、生活実感からは不景気を感じ始めたのは政府の判断より早かったのではないでしょうか。しかし、もうひとつの問題があります。景気動向指数の調査に表れない経済の動きが増加しているのではないか、ということと、家計支出の中身が変化しているのではないか、という二つの問題です。

「調査に表れない経済の動き」は、大きなもので言えば、膨大な「信用」の創出によって実体経済にそぐわない資金の動きが起こることです。この点については「実体経済と金融の乖離」という表現で何回か書きました。小さなものは、経済指標から外れた人たちの増大やアングラマネー(や資金の逃避)の増大などです。前者は、未就労者や不正規雇用の増大、難民化した非正規雇用者の問題であり、後者は、一例を挙げれば詐欺による被害の増大など(振り込め詐欺の被害額が1000億を超えていますが、それだけでなく、正規の金融から融資を得られない人たちの増加なども、統計は見当たりませんが無視できない大きさだと思います。また、摘発された武富士のケースのように大きな資産が人知れず逃避していることもあるでしょう。「地下銀行」による中国などへの送金もこうしたアングラマネーになります)があたります。こうした「裏口の」資金の流れがどの程度のものなのかわかりませんが、政府・与党が検討している戻し税の2兆円という規模よりきわめて小さいということはありえません。

「家計支出の中身の変化」は、生活者が常に実感していることです。不況下の物価上昇による消費行動の変化は、消費物の「単純化」という結果を伴います。簡単に言うと、一週間に一回、普段使わない食材を使ってごちそうを作っていた人がそれをやめる、また「安いもの」を買うようになる、などの行動は、ひとつの家計から支出される細かい項目が次第に単純になっていくことを意味します。ひとつひとつの行動は経済全体から見るととても小さなものですが、この「単純化」が消費者の大多数に当てはまるとなると、その影響は無視できません。そして、ここ1年間の物価の上昇は、こうした消費の単純化を覆い隠してしまっている可能性があります。(物価が上がる → 消費行動が単純化する、という変化があっても、実際に使う金額が変わらないために消費行動の変化を補足できない。)もちろん、自動車や衣類などで高額商品の売り上げが落ちていることははっきりしていますが、売り上げだけでなく、記したような「内容の変化」が起こっていることは疑いようがありません。この「消費の単純化」が続くと、ボディーブローのように生産に影響してくるでしょう。

「安売り」と一言で言ってしまうと簡単なことなのですが、その意味は実に多様であると思います。ダイエーがスーパーマーケットとして成功したのは、流通や販売方法を変化させることで「同じものを安くする」という手法でした。高度成長期の日本は、物価も給料もどんどん上がる、という時代でしたから、同じもを安く買えれば他のものにお金を回すことができました。結果として家電製品や車が行き渡り、住宅の質が上がっていったのです。ユニクロがヒットした理由は、「安くても満足できるものができる」ということを消費者に提示したことにあります。これも、家計の余裕を生み出す効果がありました。「普段の服はユニクロでもいいよ。だけど、決めるときは格好いいブランドものにしよう」という選択ができたのです。こうした「安売り」には、経済を前に進ませる効果を生み出す力があります。しかし、不況下での「安売り」は、やや意味が異なります。また、将来に不安を抱えた状態でお金を節約するために安いものにシフトする、ということは、経済に対する前向きな効果はあまりありません。今回の消費の落ち込みは、単に「可処分所得が減った」「物価が上がった」というだけでなく、さまざまな要因が重なったために、日本を支える多くの消費者に選択の余地がない消費行動を強いているように思うのです。これは、統計に表れる以上のマイナス要因ではないか、と危惧せざるを得ません。

 次回は、「それにも関わらず、高い食材が売れる理由」とその背景を考えてみたいと思います。

2008年10月29日 (水)

今必要な経済対策は/3・・・日本の経済のいびつな状況3(多様性を失っていく社会)


 最近のアメリカ経済の報道の中で取り上げられることが多いのは、ウォール街を除けばデトロイトが筆頭です。ご存知のように、デトロイトはアメリカを支えてきた自動車産業の街であり、今でも世界最大の自動車会社(販売台数はトヨタに抜かれましたが)GMの本社や工場があるところです。GMの経営危機が噂されていることがもちろん報道量が増えた原因ですが、住宅と自動車というアメリカ経済を引っ張って来た両輪がその動きを止めてしまうと、アメリカ経済は危機的な状況になっていくでしょう。フォードやクライスラーも同様に経営状態が極度に悪化していますが、「弱者連合」とも言うべき提携交渉はなかなか進展を見せていないようで、先行きはとても不安です。デトロイトが取り上げられるのは、「自動車の街」と言われるほどひとつの産業に依存した社会がもつ「もろさ」「怖さ」を端的に象徴しているからでもあります。

 日本の社会は、社会全体がデトロイトのような方向に向かってきました。高度成長期に重厚長大産業に続いて伸びた製品工業は、欧米と激しい貿易摩擦を起こすまでに日本の経済力を引き上げました。プラザ合意以来の円高のあとは、「内需拡大」が叫ばれ、輸出依存型経済からの脱却が日本の課題であると(かのごとく?)語られて来たのです。しかし、小泉政権によって中曽根内閣いらいの「新自由主義」路線が完成に近づくと、産業や企業の選別が最終段階を迎えました。儲けの大きな産業、国際競争力の強い産業/企業をさらに強くするために規制緩和が叫ばれ、働き手の負担を増やして企業の基礎体力を上げる施策が功を奏し、多くの労働者の犠牲のもとに大企業や金融機関は空前の利益を上げて、「好景気」を演出したのです。コストカットのために、下請けは単純なものから順に中国やベトナムなどに移され、国内の産業構造はシンプルになってきました。巨大な金融資本と大企業のみが生き残れる時代となり、日本経済の基礎体力を支えて来た中小企業や地場産業が「競争力がない」という理由で「淘汰」されてくると、輸出依存がさらに高まりました。労働者も「大企業の社員」と「生活がぎりぎりの層」の両極に収斂され「高級品と安売り品しか売れない」状況がうまれて個人消費が偏った状態になり、結果的に日本経済全体の柔軟性が徐々に減少してきました。そこに、サブプライム・ローン問題をきっかけとする金融市場の崩壊が襲ったのです。

 レーガン元大統領の時代、1960年代に登場した「新自由主義」によって、「市場にまかせれば全て上手くいく」という考え方が主流になり、規制緩和(要するに、資本や企業に好きなように振る舞ってもらうこと)の流れが世界を覆いました。政治的には旧東側諸国との対立構造が強化され、レーガン、サッチャー、中曽根といった「保守/新自由主義」の指導者がもてはやされたのです。日本でも「民活」「臨調」路線が推進され、大企業への資本の集中、金融機関の肥大化が進んだのです。「お金を儲けること」というシンプルな欲求に覆われた世界は、目的に向かって歩むことができなくなると、その仮面を剥がされました。資本の性善説に基づく新自由主義の結末は今回の金融市場の崩壊でハッキリしましたが、長い時間をかけて作られて来た社会/経済構造は、新たな秩序を見いだすまで、長い間迷走を続けるでしょう。

 1980年代からしばらくの世界の流れには、面白い傾向があります。アメリカは、レーガン、ブッシュ(父)大統領と引き継がれた新自由主義路線/自国中心主義は、クリントン政権で政治的には若干の修正があったものの、経済面では大きく変わることなく現ブッシュ政権に引き継がれました。新保守主義が成長する中で、価値観の多様性を認めない硬直した思考が支配的になったのです。そのことが政界中をかき回して弊害が明らかになると、「変革」を訴えるオバマ氏が(少なくとも世論調査の段階では)支持を集める土壌ができたのです。ほぼ30年近くにわたったアメリカの価値観の単一化に修正が加わる日が来るかもしれません。

 イギリスでは、サッチャー元首相により労組の弱体化、民営化、規制緩和が強力に押し進められました。各種の公共事業の民営化、所得税と企業課税の減税、消費税の引き上げといった政策は、財政赤字を立て直し企業の体質を強化しましたが、一方で失業者の増加、競争に耐えられなくなった医療機関の倒産などによる国民生活の不安が増大し、サッチャー氏は新自由主義、新保守主義に軸足を置きながらも次第に政策を転換していきます。

 日本でも、中曽根内閣が同じような政策を積み上げました。結果として「儲ければ良い」という風潮が広がり、バブルが崩壊し、日本の成長を支えて来た「中流意識を持った層」を変質/崩壊させました。

 私がここで言いたいことは、「新自由主義が金融バブルを引き起こした」ということではありません。右から左にお金や土地、美術品などを動かす人たちが、額に汗をして働く人の何百倍、何千倍もの収入を得ることができるようになったら、「儲けたもの勝ち」になってしまって、価値観自体が多様性を失ってしまうのではないか、ということなのです。事実、世界中が「いかにして楽をして儲けるか」に目の色を変えた状態が行きついたところが、最近の金融「バクチ」だったのだと思います。価値観が多様性を失うと、社会全体の柔軟性が失われます。柔軟性を失った社会は、ちょっとした「事件」でも大きな傷を負うのです。そのために「傷」を許さないようになり、さらに多様性を失う、という悪循環になってしまいがちなのです。これは、ただひとつの価値観を正しいとする独裁国家ではどんな小さな反乱も認めない、という現象とも一致することがおわかりいただけるでしょう。経済も人間の「文化」である以上、柔軟性を失えば成長力が衰え、結果として衰退が始まることは自明の理だと思うのです。

2008年10月28日 (火)

今必要な経済対策は/2・・・日本の経済のいびつな状況1(街並が語るもの)


 忙しくて更新ができない間に、金融市場はさらに大変な状況になっています。報道のトーンも完全に変化して、「実体経済に影響が出てきた。これからしばらく不況の時代がつづく」という解説が増えています。しかし、私は今回の金融バブルの崩壊が実体経済の悪化の根本的な原因だとは思いません。確かにアメリカの場合は、金融バブルの崩壊が直接的に市民の生活を破壊する現象が起こっていますが、日本の場合はやや状況が異なるように思います。「日本は過去に金融機関が大きく傷んだ経験から金融機関が健全になって、アメリカのようなバブルの状態に陥っていなかったために、今回は傷が浅く実体経済への影響も比較的少なくて済む」という論調が、今回の金融市場の崩壊の初期段階では有力でした。しかし最近は、急激な円高もあって「好景気を支えていた輸出産業にも影響が及び、日本も逃げられない」という論調に変化しています。確かに、規制緩和という名の下に外需依存を高めていった日本経済にとって、欧米の経済の悪化が大きく影響することは間違いありません。しかし、日本の不況の実体は、サブプライム・ローン問題をきっかけにして起こった金融バブルの崩壊が原因ではないのです。

 昨年の初夏、私は仕事のついでに四国を旅行しました。松山から今治に移動し、高松、小豆島というルートで移動したのですが、今治ではとても怖い思いをしました。駅からのびるアーケード街は8割くらいの店がシャッターを閉め、閉ざされたシャッターの前では働き盛りと思われる男性たちが、飲むでもなく話をしています。大丸の食品売り場は、夕方のいちばん込んでいそうな時間なのに、お客さんはほとんどいません。国道沿いには営業をやめたパチンコ屋が廃屋となっていて不気味な姿を晒しています。「シャッター通り」という言葉が報道を賑わし始めたのはもう10年ほど前で、他の都市でその実態を見たこともあったのですが、それにしてもショックは大きなものでした。私の頭の中に、「好景気/今治は造船の街/造船業は物流マーケットが世界的に大きくなり何年分もの注文を抱えている」という先入観があったからかもしれません。

 夕食をとりながら地元の人だというシェフと話をすると、今治の街の実態がわかりました。造船業は以前のような「人海戦術」ではなく機械化されて生産量の割に人がいらなくなったこと、今治の他の伝統的な地場産業(窯業やタオルなど)は厳しい状況であること、車で15分ほどのところに大規模なショッピングセンターができて駅周辺で買い物をする人が減ったこと、さらに近くに大きなショッピングセンターが計画されていること、などです。もちろん、今治は工業の集積地としてかなりの規模の産業が集約されていて、労働人口も四国の他の都市に比べると多いことは確かでしょう。ですから、大規模なショッピングセンターの開発計画なども進行しているのだと思います。しかし、都市の中心がまったく寂れてしまう状態は、かなり不健全なものだと思うのです。
 
 その昔(20年以上前でしょう)、友人と「日本の駅の特徴は?」という話になったことがあります。きっかけは、多摩ニュータウンに対して持った「違和感」でした。1970年代初頭から次第に巨大化していった各地の「ニュータウン」ですが、「近代的な集合住宅」というイメージとは裏腹に、なんとなく「変だぞ」という気持ちが収まらなかったのです。街として必要な機能は、もちろん計算されて揃っています。最初にできた永山・諏訪団地の最寄り駅である永山駅にはショッピングセンターが隣接され、団地の中にも小さな商店街や公共スペース、医療機関などが配置され、学校も十分に作られました。しかし、何かが違うのです。そうして出た結論は、「駅前に飲み屋と定食屋がない」というものでした。

 もちろん、「飲み屋と定食屋」というのはある種の「比喩」で、古くからの駅にあるような「雑然としたイメージ」がないことが、とても不思議な感覚だったのです。あれこれと話をしていて、この「雑然としたイメージ」はさまざまな人たちが行き来することから生まれてくるものだということに気がつきました。駅前とは、さまざまな職業の人たち、子どもから老人までの広い世代、価値観が違う人たちが普通に行き交う場所だったのです。新しく人工的に作られた街では、似たような所得層/年齢層/家族構成の家庭がほとんどで、自然に出来上がった街のような多様性がないのです。都心に通勤するお父さんと子どもを育てるお母さん、そして年齢の似通った子どもたちだけの街。そこには、一人暮らしの労働者が通う定食屋も街の人たちが集まる居酒屋も必要ありません。

 私が感じた「気持ち悪さ」は、ニュータウンができて30年経った今になって、「街が死んでゆく」という結果になって現れました。かつて時代の最先端だった住居も今となっては「古くさい団地」に過ぎず、部屋が空いても入居したがる若い世代は現れません。成長して独立した子どもたちは、ニュータウン以外に何もない街やその周辺に戻ってくることはありません。子どもが消え老人ばかりになったニュータウンが生き残るために苦闘している状況は、さまざまに報道されきましたので記憶にあることと思います。さまざまな多様性を持たない街の「終着点」がそこにありました。

 今治の街を見て恐ろしくなったのは、街が街として生きるための多様性を失っていく過程を見ているような気持ちになったからです。規制緩和によって集客力のある大規模ショッピングセンターができ、利便性を感じる人たちがそちらに移っていくと、残されるものは移動手段を持たない人たちだけになり、街の多様性は失われていきます。そして柔軟性を失った街は、街として存続していくことができなくなるのです。その後にあるものは「駅の周りに単に広がる住宅地」でしかなく、そうなってしまったら、ニュータウンが向かったように「街の死」を静かに待つばかりになるでしょう。そんな思いが「怖さ」になって感じられたのだと思います。

2008年10月 9日 (木)

米国発金融恐慌/なんか変だなぁと思っていたこと

 世界同時株安が止まりません。一昨日(10月6日)は、とうとうダウが一万ドルを割り込み、昨日は終値はなんとか戻したものの、日経平均が一万円を割りました。サブプライム問題で痛みきったアメリカの金融機関だけでなく、実はEUの金融機関が大きく傷んでいることがハッキリして、EU各国当局も懸命の「防戦」を強いられています。国内の金融機関は、アメリカやEU各国ほど傷が深くないとされていますが、小泉政権下で大企業優遇/輸出企業優遇政策を続けた日本では、景気をかろうじて牽引していたこうした企業まで業績の著しい悪化が予想されています。実体経済からかけ離れたマネーゲームを繰り返して来たつけがきていると言ってしまえばそれまでですが、ゲームに酔っていた人たちではない生活者が、最終的にこのクレジット・クランチの影響を受けることになってしまうことが理不尽です。

 少し話が変わりますが、以前から「なんかおかしいなぁ」と感じていたことがあります。それは、ものの値段にのつきかたについてです。

 ここ何年か、朝刊にパソコンの全面広告が載ることが増えました。多くは、DELLやHPなどですが、日本のメーカーの広告を見ることもあります。それらの広告に驚かされるのは、パソコンの値段の安さです。最近は、5万円台のノートパソコンも珍しくありません。それに対して、ソフトウェアの高いこと!!小さなパッケージに入ったオフィスが、パソコン本体と同じような値段なのです。そのために、マイクロソフトはどんなにたたかれようと、毎年考えられないような利益を上げ、ビル・ゲイツ氏率いる財団は、中程度の国家が行なうODAと同じぐらいの援助を行なうことができるだけの資産を抱えています。

 人々に対する報酬を考えてみましょう。外資系の金融機関が契約やコンプライアンスで弁護士にアドヴァイスを求めるとき、同席する弁護士が受け取る「時給」は、概ね20万から50万くらいだそうです。もちろん、この報酬は弁護士個人に入るのではなく所属するファーム(弁護士事務所)に入るのですが、多くの場合、こうした弁護士事務所は、その会社とアドヴァイザーの年間契約も結んでいます。一方で、冤罪事件に苦しむ被害者を救援する弁護士の多くは国選弁護人の規定額(3開廷で10万円弱)か、ほとんど手弁当での弁護活動をしています。前者が、ミーティングで「一言」発言すればよいような状況が多いとすれば、後者は弁護士自らが調査活動をして証人や新証拠を集めるために駆けずり回っているのです。

 破綻したリーマン・ブラーザースのCEOは、7年間で480億円の報酬を手にしました。彼がどのくらいの時間働いていたのかは知りませんが、高速料金を倹約するために睡眠時間を削って一般道を走るトラックの運転手が手にする金額は、多くの場合かのCEOの2000分の1から2500分の1程ではないかと思います。CEO氏までいかなくても、港区のある地域に行けば、年収が軽く億を超える人たちにいくらでも遭遇するでしょう。そういう人たちも、運転手氏が運んだものを毎日口にしているかもしれない、というのに。

 こうした疑問は、実は30年以上前から感じていました。就職の人気ランキングのトップに入る会社は、当時はトップ常連の東京海上を中心とする損保や都銀、商社、マスコミなどでした。製造業でトップの方に入るのは、ソニーやホンダなど、ごく一部の企業だったように覚えています。もちろん、人気の高い企業は給与水準も高かったのでした。こうしてみると、「ものを作る」ことがとても冷遇されているように感じたのです。

 もちろん、ものやサービスの値段がどのように決まるか、ということは一様ではありません。しかし、価値観が人間の実生活や得られる喜びから大きく外れてしまった時に、経済は人間性を失ってしまうのではないでしょうか。今回の金融バブルの崩壊は、まさに「経済をもてあそんだ」報いなのだろうと思います。「儲けたものが勝ち」というアメリカ流社会の、ある意味で必然的な結末なのだろうと思うのです。

2008年8月12日 (火)

こんな人が日本の経済界の顔だなんて恥ずかしい限り

 小泉/竹中路線で重用され、最近会長に再選された御手洗経団連会長。この方の問題はたくさん語られてきましたが、7月31日の外国特派員協会での講演の内容を見て、またあきれ果ててしまいました。講演の全文は経団連のページにあります(http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/20080731.html)

 御手洗氏はご存知のようにキャノンの業績をアップさせた功労者です。キャノンは1997年に当時社長だった御手洗氏の判断で、社内の抵抗を排してセル生産方式を導入し、大幅な生産性向上を実現しました。その意味では、株主やキャノンの正社員にとっては「良い経営者」であるのかもしれませんが、一方で違法な偽装請負を組織的に行ない、大量の非正規労働者を安い賃金で働かせることによって業績を上げて来た、「利益のために確信犯的に違法行為を行なう」経営者でもあります。

注)セル生産方式
 従来型の大量生産は、ベルトコンベアーで流れてくる製品を順に組み立てて行く方法が主流でした。このようにすることで、担当者が覚える仕事が一通りで済み専門化することで効率が上がるとされてきたのです。この手法は導入されてから長い間大きな成果を上げてきましたが、一方でさまざまな問題が指摘されるようにもなっていました。人間をひとつの部品として生産現場にはめ込んでしまうこのシステムは、労働者の意欲や意識を低下/停止させてしまうから、ということがいちばん大きな問題です。これに対して「セル生産方式」とは、1人の労働者が多くの過程を受け持つ(場合によっては1人で製品を組み立ててしまう)方法です。労働者は自分の仕事の意味を知ることができ、その中から生産性を向上させる意欲とアイデアが出てくるという効用がありました。当時ソニーの向上の一部に導入されていたこの方式を御手洗氏が見てキャノンへの導入を決めたのです。これによってキャノンの生産現場からはベルトコンベアーが消え、生産性の向上をもたらすことができたのです。

 御手洗経団連会長の今回の講演は、内容の貧困さを物語るように、新聞各紙の報道でも小さなスペースのものでした。一部の新聞に「言い古された内容で特派員の眠気を誘っていた」などと書かれていますが、講演の最初に御手洗氏自身が冒頭で「総花的な議論を展開して、食後の眠気を誘ってしまっては、この場にまいりました意味がございません。」と語っていることは、まさにブラックジョークでしょう。

 講演の冒頭では、「日本経済は踊り場にあり、その原因は資源/エネルギー価格の高騰と米国の景気原則である」と述べています。まず、この現状認識の甘さに違和感を覚えます。

 御手洗氏が考える「日本経済」とは、経団連に所属するような大企業の業績であり、株価であるのです。そのことは、引き続き「ただ、私は景気が今後、底割れし、後退するようなことはないと確信しております。なぜなら、日本経済のファンダメンタルズは、失われた10年を経て、目に見えて強化されているからであります。企業の体質も筋肉質なものとなっております。日本企業が設備・債務・雇用の3つの過剰に喘いでいたのは、もはや過去の出来事です」と語っていることからも明らかです。最長の景気拡大とされてきた2002年以降、コストカットと人員削減を強化して業績を上げることができた大企業に対し、過去の日本経済を支えて来た中小企業は、過剰設備と金融機関の貸し渋り(もちろん、業績の良いところには喜んで貸す訳ですが)、相対的に差が大きくなった給与差による人員不足に、恒常的に苦しむ体質が温存されました。景気拡大側面においても正社員の数は減り続け(最後に少しだけ逆転しましたが)、大量に生み出された非正規労働者が、生活保護にも満たない低賃金とそれによる格差の拡大に悩んで来たのです。8月7日に政府が「景気は後退局面にある。昨年の12月がターニングポイントかもしれない」という発表をしましたが、庶民の生活実感は「踊り場」ではなく「後退/縮小」に近いものだと思います。これは、実際の生活局面での経済状況に敏感なタクシーの運転手や商店主をモニターとした××が、「景気は後退している」と判断していることにも一致するでしょう。

 非正規労働者が増え、コストカットのために低賃金/過剰労働に喘いでいる多くの人たちにとって、資源/エネルギー価格の高騰は「景気の踊り場の原因」ではなく、「生活にとどめを刺した」ものなのです。毎日のように生活必需品や食品を買っていれば、この1年間の物価の高騰は、まさに生活が危機的水準に落ちる限度だと感じているでしょう。液晶テレビやパソコンなどの「性能が上がって安くなる」ものが含まれている物価統計は、そんなものをほいほい買うことができない所得層にとっては無意味です。御手洗氏がどこを向いているのか、こうした現実を知らない(無視している)ことがハッキリ物語っています。

 御手洗氏は、現在の日本の状況を「存亡の危機に立たされる」危険があると述べ、その危機を回避するための「抜本的な改革」を提言しています。そして、「特に重要と考える」税制改革と地球温暖化の問題を取り上げています。次に、その内容を見てみましょう。

(1)税制改革

 御手洗氏は税制改革の必要性として、以下の三つを挙げています。そのために、1)法人税の減税、2)中・低所得者に対する思い切った所得減税、3)消費税の引き上げ、が必要であると論じています。それぞれについて、認識の違いを指摘してみましょう。

1)社会保障制度の持続可能性を確保する
 「社会保障制度というものは、本来、国民に安心・安全を与えるための強固なセーフティーネットでなければなりません。しかし、日本では、年金制度への不信、医師不足、一向に改善しない保育サービスなど、今や社会保障制度の不備が、逆に国民にとって不安の種となっており、社会全体に暗い影を落としております。今後も社会保障費用が年間1兆円ペースで増加していく中、制度を維持していくためには、安定財源を確保することが不可欠です。」(引用)

 御手洗氏の議論は、結局のところ「金がない!」に尽きます。1)だけでなく全てに共通するのですが、過去/現状のさまざな政策に対する判断は全くなく、このような現状を生み出した問題に対する問題意識が全くありません。官僚の無謬主義に通じるものだと思いますが、「これまでの政策は正しかったが、外的要因で日本は危機的状況になっている。これを正すためには、きちんと対応できる財政を作らねばならない」という御手洗氏の判断は、官僚やこれまでの政策を紡いで来た人たちには心地よく受け入れられるものでしょう。

 しかし、社会保障制度の問題点は、これまでの政策やその実行過程でもちあがってきたものがほとんどです。現場の問題(社会保険料の誤魔化しやミスなど)ばかりが取り上げられていますが、そもそも40年満額支払っても生活費にはほど遠い給付(6万円強)しか受けられない国民年金に対して安心感が持てるでしょうか? 最大で年間70万もの保険料を支払わねばならない国民健康保険/介護保険を払うくらいなら、医療費を自費で払ってもと思う人がいても不思議はありません(ちなみに、私の医療費は、ここ5年の総額で7万ほどです。それが25万になったとしても、300万ほどの貯金ができたことになります)。大企業に勤めている人には実感がないかもしれませんが、こうした事実が、国民年金や健康保険に対する不安感を増やし、年金や保険料の支払い率が落ちている原因のひとつかもしれません。もちろん、官僚のために無駄に浪費されてきた莫大な掛け金の問題や、運用手法の問題などもあります。こうしたことに触れずに、「消費税を上げて金をあつめなければ」という御手洗氏の発想の貧困さ、無責任さにはあきれ果てるばかりです。「安定財源を確保することが不可欠」と述べていますが、このままさらにお金をかけては、無駄を増やすばかりでしょう。

 医療の問題は、「医師不足」という一言で片付けられる問題ではありません。医療現場の崩壊(小児科医、産科医の不足、地方の病院の閉鎖、救急医療体制の危機的状況、看護士の過重労働/不足など)が何故起こったのか、という検証がなければ、単に財源を作っても問題が解決することはありません。もっとも、御手洗氏が行く病院には、全てが揃っているのでしょうから、医療の現場の現状を知らなくても仕方がないのかもしれません。

 保育の問題です。2の問題ともからんできますが、政府は、高齢者が医療サービスを受けにくくする方向(後期高齢者医療制度で負担を増やし、高齢者が医療を受けられる日数を減らして病床を減らし、介護点数やランクの見直しで介護保険からの支出を減らす)に政策の舵を切りました。高齢化社会を迎えて、高齢者の福祉を重視するのではなく、高齢者の福祉制度を制度として存続させることだけを考えた政策です。保育の問題は、保育所に補助金を出すだけでは解決しません。面倒を見なくてはならない高齢者世代の問題や、その負担とも、さらに子どもをつくることができない/作りたくない大人、さらに結婚することができない30、40代の増加とも密接に関係があるのです。詳しく論じている余裕はありませんが、少なくとも、偽装請負で非正規労働者を安い賃金で働かせ、結婚できない/子どもを作ることができない層をたくさん生み出していることを悪いと感じていない御手洗氏が、子どもを育てるために何をしたら良いかを論じる能力も資格もありません。キャノンが不法に雇った非正規労働者全員に正社員の待遇を与えれば、それだけで何十人、何百人もの子どもが増える可能性があるのです!!

2)財政再建
 「日本の国・地方の長期債務残高は778兆円、対GDP比で148%と、先進国で最悪の水準です。国だけ見ても税収の10倍の借金を抱えております。
こうした中、政府は、基本方針2006において、2011年度までにプライマリー・バランスを黒字化し、さらにその後も、債務残高の対GDP比を安定的に低下させていくとの目標を掲げております。
 これまで日本では、歳出改革が中心でした。それはそれで正しい選択だったと思います。しかし、私は、企業がコストカットだけで成長できないのと同じように、歳出改革だけで財政再建が実現できるとは考えません。政府公約の達成のためには、具体的な歳入改革について、早急に議論をする時期に来ております。」(引用)

 企業がコストカットだけで成長できないことは自明の理です。御手洗氏は、「だから消費税を導入して歳入を増やさなくてはならなのだ」と論じています。はっきり言って、これなら「だれでもできる」ことです。日本の財政状況が悪化した最大の原因は歳入の不足ではなく、歳出による「投資効果」を無視した財政支出にあるのです。バカ高いお金をかけて不要なインフラを作れば、その時には雇用が生じるでしょうが、維持管理にさらに税金を投入することになります。維持することが困難な事業に無駄に税金を投入して長生きさせれば、傷が深くなるばかりです。

 財政支出には、投資に見合った効果を求めるべきものと、税金を投入しなくてはならない「もうからない」部分があります。この区別が財政支出の規律を作る根本になければなりません。ところが、日本の財政支出の優先順序は、これとは異なった基準(政治家の力や官僚組織の理屈)で決められてきました。これが最大の問題なのだと思います。この場で多くのことを論じることはできませんが、内容を精査することなく「コンサルティング会社」の言うがままに無駄金を投入し続けているODAにしても(PCIが摘発されましたね)、飛ぶ飛行機の当てがない空港にしても、用がなくなったにもかかわらず理由をこじつけて続けられる各種の公共事業(ダムや干拓など)にしても、怪しいフィクサーが跳梁跋扈して無茶苦茶な高値で装備を買わされている防衛支出にしても、バラバラの問題ではなく「財政のありかた」の問題なのです。

 これまでの日本の政策を「正しい選択だったと思います」と語る御手洗氏は、こうした支出構造を肯定している訳ですが、それで本当に良いのでしょうか? もちろん、生活保護の申請をできるだけ窓口で阻止するように匂わせたり(本当に酷い話ですね!!)文化のための支出を押さえたり(ハコものを作るためには補助金がたくさん出るのに、そこで運営するソフトには金を渋る)と、支出を削ることには努力を重ねています。しかし、こうした部分は「投資効果で測れない」部分なのではないでしょうか。


3)成長力の強化
 「日本は天然資源に乏しい国です。イノベーションの促進、産業の高付加価値化によってグローバル競争に勝ち抜き、経済を拡大させていくことが不可欠です。そのためには、法人税を国際的な水準に整合させていくことや、研究開発や環境などの施策を重点的に拡充していくことが必要です。
 また、景気の先行きに対する不透明感が増してきており、内需拡大も重要課題となっております。そこで、子育て世代を中心とする中・低所得層に対し、思い切った所得税減税を実施することも、個人消費を喚起する観点から、検討する必要があります。
 では、これらを踏まえ、何を主たる財源として求めていくのか。とりわけ、最も緊急な対応を要する社会保障制度の安定財源を何に求めていくのか、ということになりますと、やはり、消費税の拡充という結論に行き着かざるを得ません。
 税収が景気変動の影響を受けやすい所得税や法人税などは、財源として、不安定さがあります。そもそも、日本の税体系は、これらの直接税に偏りすぎているという問題もあります。
従って、経済活動への直接的なマイナスの影響が少なく、また、国民全員が支えあう消費税の拡充こそが、最も、適切な選択肢であると考えます。」(引用)

「特派員の失笑をかっていた」と某新聞に書かれた部分は、恐らくここのことでしょう。御手洗氏が本気でこのように思っているのであれば、経済状況の認識ができないだけでなく、税制についての基本的な理解に欠けていることが歴然としています。

 内需拡大が重要な課題であるのなら、最大の支出である個人消費を上げなければなりません。しかし、御手洗氏の論法は、「成長を確保するために法人税を下げる。内需拡大のために中・低所得層に対する減税を行なう。社会保障制度の不安を解消するために、またこれらの減税財源を確保するために消費税を引き上げる」というものです。もくろみはハッキリしています。

 消費税の引き上げでダメージを受けるのは、主に低所得層です。特に、生活保護を受けている人や課税最低限以下の所得しかない人にとっては、減税の恩恵を被ることができずに、税負担だけが上がることになります。一方で、企業の体質の強化に繋がる法人税の引き下げで恩恵を受けるのは、収入の高い大企業の労働者や株主、経営者でしょう。非正規労働者を増やして企業のコストダウンを目指している御手洗氏が、こうした層のことを全く考えていないことは明らかですが、それにしてもこうした論法を外国特派員協会の講演でやってのける精神には脱帽です。もちろん、消費税の引き上げは個人消費の落ち込みを伴いますので、日本の経済がさらに輸出に依存しようとする(ないし、海外への投資に向かう)ことは明らかでしょう。つまり、御手洗氏が述べていることは、まったく自己矛盾に満ちたものだといえるのです。海千山千の海外特派員が失笑をもらすのも当然だと言えるでしょう。

(2)環境問題

 これについても、御手洗氏がどこを向いているのかがはっきりしています。具体的な成果を得ることがまったくできなかったサミットを「成功」と断じ、各国首脳に媚を売る内容と、経団連や参加する企業が環境問題に対していかに本気で取り組んでいるか、ということをPRしているに過ぎません。その内容もお寒い限りです。どんな内容なのかは、実際に講演をお読みください。

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