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2009年4月22日 (水)

本日の「怒」090422/裁判2題・・・死刑制度と裁判員制度について再び問う

 昨日、裁判にまつわる二つの大きな出来事がありました。ひとつは「毒入りカレー事件」です。こちらについては、すでにたくさんの報道がなされているので、よくご存知のことと思います。

 もうひとつは「足利事件」と呼ばれているものです。この事件を記憶している方は、相当この手の裁判に興味があった人に限られるかもしれません。

 事件の概要は以下の通りです。

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 1990年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店駐車場で遊んでいた女児=当時(4)=が行方不明になり、翌日、近くの草むらで遺体で見つかった。栃木県警は翌年12月、DNA型鑑定の結果、付近にあった下着から検出された体液と型が一致したなどとして、菅家利和受刑者を逮捕した。

 DNA型鑑定は、警察庁科学警察研究所で当時導入されたばかりだった。弁護側は信頼性に疑問があるとしたが、最高裁は2000年7月、証拠能力を認める初判断を示し、一審無期懲役判決が確定した。(時事通信)
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 この事件の特徴は、当時最先端の技術として脚光を浴びていたDNA鑑定によって、犯人否認事件にも関わらず、有罪が確定的に」社会的に認知されたことです。にもかかわらず、今回は、検察、弁護側双方の推薦する鑑定人が、いずれも犯人の体液のDNAが菅家受刑者のDNAと「必ずしも一致しない」という検定結果を出しました。(この「必ずしも一致しない」とは、「一致するかもしれない」ではなく、「同一人物とは考えにくい」という意味です。)

 この事件が裁判員制度の下でどのようになるか、考えてみて下さい。素人である裁判官は、DNA鑑定という「権威」にさからった判断をくだせるとは到底思えません。仮に、この事件が1990年ではなく去年の出来事であれば、「死刑」という判断も下ったかもしれません。そして、確定判決から9年ということは、その間に死刑が執行されていた可能性も否定できないのです。

 この事件、恐らく再審になると思いますが、唯一の物証であったDNAが否定されれば、有罪とされた原審が破棄されるのは間違いないでしょう。タイミングがずれていれば、無実の人間を殺してしまったことになったかもしれません。

 私は、昨年12月のエントリー(「裁判員制度について考える1」)で、原則として死刑廃止論者であることを述べましたが、まさにこの「冤罪の可能性」が現実のものとなった事例になってしまいました。

 これまでも多くの冤罪事件がありました。死刑や無期の判決が確定したものだけでも、警察が「こいつならやりかねない」という「社会的な偏見」を元に証拠をねつ造した島田事件や狭山事件(再審請求中)や、鑑定がいい加減である(結果を最初から決めて鑑定をしている疑いがある/有名な「古畑鑑定」などにその疑いが濃厚であるケースがみられる)ケースがあり、範囲を広げれば警察が事件自体をでっち上げたもの(最近では志布志事件)も少なくないでしょう。

 あらためて、裁判の恐ろしさ、死刑制度の無理を感じざるを得ません。

 話を「毒入りカレー事件」に変えてみましょう。

 この事件も、マスコミが長期にわたって連日取り上げたために、被告人が犯人であることを疑わない人が多いはずです。私もその1人であることは間違いありません。同じ「可能性が強い」ヒ素が自宅から見つかった、などと報道されれば、「あー、やったんだな」と思ってしまいます。しかし、裁判で判決を下す、しかも取り返しのつかない「死刑」という判決を下すためには、こんないい加減な判断は許されません。決め手とされる状況証拠を詳しく見た訳ではないのではっきりしたイメージはありませんが、DNA鑑定ですら誤りがある現状で、それでも「死刑」を選択することができるのかどうか、皆さんに問いたいと思うのです。

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社会/司法」カテゴリの記事

コメント

冤罪はいっぱいあるんでしょうね。怖いです。
日曜日の朝のテレ朝の番組でも冤罪の特集をしていました。
検察が都合の悪い情報を出さないことが問題にされていました。

 いつも不思議に思うのは、警察や、検察が無理に有罪にして得点を稼ごうとするのは分からなくもないのですが、裁判官がどうしてそれを見抜けないのかということです。どう思われますか?

 裁判官に見抜くことは難しいと思います。同時に、そうするつもりがない裁判官も多いと思う。テレ朝の番組なら、警察が被害者のバッグをすり替えた話とかが出てきたのではないかと思いますが、すり替えられたバッグが偽物だということを証明するためには、裁判所の外に出て調べないと無理。裁判所はそんな時間はかけません。無罪の証明をするのは、この国では被告人の責任なんです。

 何度か書いてきたように、裁判官は検察官の立証に合理的な疑いがない限り、採用する傾向が強い。「犯罪の合理的な証明」ではなく「検察のストーリーに対する合理的な疑い」を争う場になっているんですね。裁判官にとっては、その方が時間の短縮にもなるのです。

 今回のDNAの件と痴漢冤罪の判決は、検察だけでなく裁判所にとってもショックでしょうね。小法廷の顔ぶれを見ると、かろうじて、という感じですが。

毎週見ているんですが、ご存知?
http://www.videonews.com/

カレー事件の判決が「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」とは言えないのではという話をしてます。

 うーん。この件は難しいですね。

 確かに、疑問は尽きないのです。本当に犯人なら、自宅に亜ヒ酸を残しておくだろうかとも思います。何かの偶然で放置してあった亜ヒ酸を子どもが拾って入れてしまった、なんていう可能性を全否定するのは難しいでしょう。安田弁護士の言うことにも納得できる点も多々あります。

 一般論としては、状況証拠の積み重ねを有罪立証の方法として認めない立場は、私はとれません。それは、法的安定性を維持するためにはあまりにリスクが大きいと思うからです。逆に言えば、だからこそ死刑制度に「無理がある」と考えている訳です。

 この事件、あまり詳しくない(新聞ネタくらいしか目にしていない)のですが、「検察側の立証に合理的な疑いを差し挟むことができない」から有罪、という論理構成自体を問題視するか(疑わしきは・・・に反するか)、合理的疑いを無視したことを問題視するのか、どちらかによって、判決に批判的な人でも意見は異なるでしょう。私は、立証がきちんと行なわれたとしても死刑制度には疑問、という立場ですから、結果的には判決を批判的に見ていますが、この件について詳しく知れば、また違う意見を持つかもしれません。

 それにしても・・・安田弁護士のやろうとしていることは評価したいのですが、やり方には大いに問題があると思います。敢えて一石を投じているのかもしれませんが、もう少しスマートにできないものかと・・・

なるほど。よくわかりました。

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