日本の取るべき進路について2/きちんと「懲り」ましょうよ
新年になって、新聞各紙とも「これからの日本」についての「提言」が社説のテーマになっています。その中で、取り上げた日経だけでなく、読売などの社説を読むと、「これまでの方向が間違っていたのではない」「日本の活力を活かせ」「新たな市場を開拓せよ」といった論調が目立ちます。4日に麻生首相は「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」という、フランスの哲学者アランの言葉を引用していましたが、これまでの間違いを正す「意思」を持たない政治家やこうしたマスコミの「想像力の欠如」には、呆れるばかりです。
(補足)ちなみに、麻生首相、「私の好きな言葉」として上記の言葉を引用していましたが、これは1月1日付の公明新聞に載った「危機打開へ悲観主義を排せ」という主張(社説にあたるもの)の引き写しです。麻生首相は新聞を読まないそうですから目にしていないかもしれませんが、一国の首相が年頭に述べるものとしてはいかがなものかと思いました。
(補足2)エミール・オーギュスト・アランが述べたこの言葉、確か「幸福論」かなんかの一節でしたか。とても人気があった哲学者で、若い頃は多くの人が呼んでいました。昔のことなのでよく覚えていないのですが、引用されたフレーズのように「意欲があれば幸せになる」「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」などのやや「精神論」的な匂いがして、あまり好きでなかったように記憶しています。ただしこの人、「人間の精神は反対することで自由になる」などということも言っていたと思います。その点は、麻生首相のポリシーとは反すると思うのですが。
まず第一に、「輸出立国」について考えてみましょう。
日本の経済構造が輸出依存型であることは議論の余地のないところです。高度成長期までは、円レートにも助けられ(1ドル360円の時代)、原材料(鉄鉱石や石油など)を輸入して製品を作って輸出することで、経済成長の恩恵を享受することができました。経済の拡大に比べて消費の増大や生活の変化は緩慢で、国内市場を十分に大きくしないで輸出に頼る経済構造が定着したのです。「うさぎ小屋」と揶揄された住宅環境は、単に広さだけでなく住居に付随する生活全体の消費の弱さを示していたものだと思います。日本人の勤勉性と技術力の高さは、世界で通用する製品を次々に生み出し、そうした産業は世界をリードするようになりました。
ドル・ショック、石油ショックを経て、円のレートが変動すると同時に、途上国が工業国として力をつけてくると、輸出国としての日本の優位性は徐々に失われ、産業が輸出に耐えるものとそうでないものに再編されていきます。コストを下げ、新たな価値を生み出すことができる企業は勝ち残り、そうでない企業や製造業は淘汰されていきました。日本の政策はその勢いを増す方向に進み、「国際競争力」という言葉が錦の御旗になりました。バブル崩壊以来、バブルを生んだ戦犯たちがのうのうと優雅な生活を送る一方で、社会は次第に「勝ち組」「負け組」に分化が進んでいきました。その流れを決定づけたのが、小泉政権です。
私は、強烈な輸出依存型である日本の経済構造を転換する努力をすべきだと考えています。多くの経済学者やエコノミストは、「新たな市場開拓を」「国際競争力を取り戻せ」という論調ですが、おおいに疑問です。中には、これまで輸出相手として考えられなかったところにも市場を広げよ、という主張をしている専門家もいます。(注)日本は、最初はアメリカのみを輸出相手として、次には欧州や途上国の成長に合わせて輸出対象を拡げてきました。コストの安いところで作られたものに太刀打ちできなくなると、そうしたものは成長を続ける途上国に生産を回し、付加価値の高いものを日本国内で生産しようとしたのです。論者の言うように「新たな市場開拓」を目指すことは、これまでの歴史を繰り返すことにすぎません。こうした人たちは、日本製品が世界中の津々浦々にまで広まったら、そしてその市場にさらに安い製品が出回って来たら、次は月か火星にでもマーケットを拡げろとでも言うつもりなのでしょうか。
(注)「アエラ」1月12日号の「2009年100人の予言」を読むと、さまざまな意見を目にすることができます。ここで私が言っている「専門家」の1人は、伊藤隆敏東大教授。インフレ・ターゲット論者として有名で、昨年三月に日銀副総裁人事を野党の反対で潰されたお人です。「日本の経済を引っ張るのは輸出と投資」と言い切るそのスタンスは、まさに自民党が押し進めて来た大企業優遇政策の権化です。これに対して、東京理科大教授の伊丹敬之氏は、「そもそも金融は裏方産業。(中略)金融の後退は経済が本来の姿へ戻ることを意味する。喜ばしいことです」と言っています。どちらに理があるのか、結末は将来でないとわかりませんが、私は明らかだと思います。
輸出立国論者は言います。「日本の産業の力は、新しいもの、新しい付加価値を生んでいくことができる。だから、そうして創り出されたものを世界のマーケットに提供すれば良い」と。しかし、世界の産業を相手にして日本だけが新たな価値を創造し続けられると考えるのは都合がよすぎます。資源にも、マーケットにも限りがあるのです。それを認めないと、長期的な視点に立った政策はできません。
戦後60年あまりの歴史を経て、こうした構図は十分にわかっているはずです。人口1億の日本の会社が車を1000万台も売る必要があるのか、いちど考え直す時期に来ているのではないでしょうか。きちんと懲りましょうよ。
次は、政府の役割について考えてみます。


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